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2016年6月1日水曜日

2016年度「情報メディア基礎論」レポート課題


期末レポート課題

  • 「なにか〈作品〉を一点選び、〈メディア〉の観点から論じなさい。」

提出期日・提出場所

  • 2年生: 7月12日(火)~7月21日(木)
  • 1年生: 7月12日(火)~8月8日(月)
  • 提出先: 教務課の提出ボックス(期日の16:50まで提出可能

分量等

  • A4用紙(40字×40行)4枚以上(原稿用紙換算で16枚以上)を目安とする。添付資料として画像等の貼付けも可だが規定分量には含まない。

途中課題

  • 「期末レポートの作成に向けて、取り上げる〈作品〉を決め、レポートの構成・計画を書きなさい」
  • 提出期日: 6月28日(火)の本授業終了時
  • 分量等: A4用紙(40字×40行)1枚程度

  • 注意: 期末レポートでは、この途中課題で提出したものから、扱う〈作品〉やレポートの内容が変更になっても構わない。

途中課題講評

提出104名のうちで、扱う作品の重複がなんとひとつもありませんでした! すごい偶然であるとともに、受講生の多様性の表れでしょうか。たいへん大雑把な分類で恐縮ながら〈作品〉のカテゴリー別人数としては、

  • 小説: 35名
  • 映画(実写/アニメ): 31名
  • マンガ:  9名
  • TV番組(アニメ): 7名
  • ゲーム: 4名
  • 音楽: 3名
  • TV番組(アニメ以外): 2名
  • 美術: 2名
  • 企画: 2名
  • 複合: 1名
  • 不特定: 6名

といったところ。このうち「不特定」になっている人は要注意で、課題の要件をまったく、もしくは不十分にしか満たせていない可能性があり、その場合は成績もまともにつきません。例えば『ドラえもん』を扱うといった場合、マンガ版、TVアニメ版、映画版、小説版、等々のどれのことなのかを明確にしないで論を進めたのでは〈作品〉の特定が不十分です。必ず、映画版の『○○』とかTVアニメ版の「○○」の回といったように特定してください。そうしないかぎり〈作品〉を論じたことにはなりません。設定やストーリー/プロットが特定の表現形式を与えられてはじめて、一個の〈作品〉となると考えてください。

他方、○○版と△△版のいわゆるメディアミックスそれ自体を論の対象とするといったやり方はOKで、その点に自覚的なものについては上の集計では「複合」としてあります。

また、一定の現象一般であったり、一定のジャンル一般について論じようとするものもありましたが、これらも〈作品〉を特定していることにはなりません。論の内容がそうした種類のものになるのはOKですが、その場合でも、そうした一般的な事柄が特定の〈作品〉に表れている様を通じて論を展開してください。

また、Aを論じたBという作品(評論など)を〈作品〉として、実質的にはAを論じようとするものがいくつかありましたが、この場合、実質的にはBはA論の先行研究/参照文献でしかなく、やはり課題の要件を十分に満たしているとは言えません。例えば、『貧困について』という書籍を〈作品〉として自分も貧困について論じるような形式ですが、この場合、論の対象は「貧困」であり、「貧困」そのものは〈作品〉とは言えません。

先行研究/参照文献の扱いについては、授業でも強調した通り、この期末課題に限って言えば、なくてもかまいません。むしろ、このような分量の少ない文章で先行研究/参照文献に逐一言及していていたら、ほぼ確実に議論の本体が疎かになります。先行研究の適切な処理の仕方を身につけることは大切ですが、この授業はそれを趣旨としていません。

論点を複数組み込みたい場合は、それが最後にはまとまる方向で論展開をしてください。あれもある、これもある、という感じでただ論点が並んでいる文章は、考えが十分に練られていない証拠です。

また、これも授業内で何度も言いましたが、「ルーマン」とか「蓋然性/非蓋然性」などの私が授業で用いた言葉を使用する必要はありません。私自身はこれらの言葉を用いるのが自分の議論にとって最善と思ったから使っていますが、それが全受講生にあてはまるとは微塵も思いません。自分の議論を表現するのに自分が一番うまく使えると思う言葉を使ってください(場合によっては、それは学術用語ではないかもしれません)。とりわけ、授業内容の要約はいりません。

〈メディア〉の観点から論じるというとき、それが作中に閉じ込められることなく、作品外への一般的な広がりをもった議論となるように考えを練ってください。例えば、『ドラえもん』のタイムマシンは、それがなくては話が成立しませんから、のび太とドラえもんの共同生活を可能にするメディアだと言えるかもしれませんが、それだけだとこの作品の設定を解説していることにしかなりません。しかし、それが「机の引き出し」の中にあることの意味にまで考えを進めれば、それは「引き出し」というもののメディア的特性にまで達する議論となりうるわけです。

あと、いくつか形式面での「お願い」です。(1)「表紙」はつけないでください(分厚くなるし採点時に邪魔なので)。(2)縦書き印刷はやめてください(今回一人いましたが、私としては横書きを想定していました)。(3)手書きはやめてください(手書きは読みにくさの一因であり、読みにくさは低評価の一因となります)。

2016年度「情報メディア基礎論」レポート課題


期末レポート課題

  • 「なにか〈作品〉を一点選び、〈メディア〉の観点から論じなさい。」

提出期日・提出場所

  • 2年生: 7月12日(火)~7月21日(木)
  • 1年生: 7月12日(火)~8月8日(月)
  • 提出先: 教務課の提出ボックス(期日の16:50まで提出可能

分量等

  • A4用紙(40字×40行)4枚以上(原稿用紙換算で16枚以上)を目安とする。添付資料として画像等の貼付けも可だが規定分量には含まない。

途中課題

  • 「期末レポートの作成に向けて、取り上げる〈作品〉を決め、レポートの構成・計画を書きなさい」
  • 提出期日: 6月28日(火)の本授業終了時
  • 分量等: A4用紙(40字×40行)1枚程度

  • 注意: 期末レポートでは、この途中課題で提出したものから、扱う〈作品〉やレポートの内容が変更になっても構わない。

途中課題講評

提出103名のうちで、扱う作品の重複がなんとひとつもありませんでした! すごい偶然であるとともに、受講生の多様性の表れでしょうか。たいへん大雑把な分類で恐縮ながら〈作品〉のカテゴリー別人数としては、

  • 小説: 35名
  • 映画(実写/アニメ): 31名
  • マンガ:  9名
  • TV番組(アニメ): 7名
  • ゲーム: 4名
  • 音楽: 3名
  • TV番組(アニメ以外): 2名
  • 美術: 2名
  • 企画: 2名
  • 複合: 1名
  • 不特定: 5名

といったところ。このうち「不特定」になっている人は要注意で、課題の要件をまったく、もしくは不十分にしか満たせていない可能性があり、その場合は成績もまともにつきません。例えば『ドラえもん』を扱うといった場合、マンガ版、TVアニメ版、映画版、小説版、等々のどれのことなのかを明確にしないで論を進めたのでは〈作品〉の特定が不十分です。必ず、映画版の『○○』とかTVアニメ版の「○○」の回といったように特定してください。そうしないかぎり〈作品〉を論じたことにはなりません。設定やストーリー/プロットが特定の表現形式を与えられてはじめて、一個の〈作品〉となると考えてください。

他方、○○版と△△版のいわゆるメディアミックスそれ自体を論の対象とするといったやり方はOKで、その点に自覚的なものについては上の集計では「複合」としてあります。

また、一定の現象一般であったり、一定のジャンル一般について論じようとするものもありましたが、これらも〈作品〉を特定していることにはなりません。論の内容がそうした種類のものになるのはOKですが、その場合でも、そうした一般的な事柄が特定の〈作品〉に表れている様を通じて論を展開してください。

また、Aを論じたBという作品(評論など)を〈作品〉として、実質的にはAを論じようとするものがいくつかありましたが、この場合、実質的にはBはA論の先行研究/参照文献でしかなく、やはり課題の要件を十分に満たしているとは言えません。例えば、『貧困について』という書籍を〈作品〉として自分も貧困について論じるような形式ですが、この場合、論の対象は「貧困」であり、「貧困」そのものは〈作品〉とは言えません。

先行研究/参照文献の扱いについては、授業でも強調した通り、この期末課題に限って言えば、なくてもかまいません。むしろ、このような分量の少ない文章で先行研究/参照文献に逐一言及していていたら、ほぼ確実に議論の本体が疎かになります。先行研究の適切な処理の仕方を身につけることは大切ですが、この授業はそれを趣旨としていません。

論点を複数組み込みたい場合は、それが最後にはまとまる方向で論展開をしてください。あれもある、これもある、という感じでただ論点が並んでいる文章は、考えが十分に練られていない証拠です。

また、これも授業内で何度も言いましたが、「ルーマン」とか「蓋然性/非蓋然性」などの私が授業で用いた言葉を使用する必要はありません。私自身はこれらの言葉を用いるのが自分の議論にとって最善と思ったから使っていますが、それが全受講生にあてはまるとは微塵も思いません。自分の議論を表現するのに自分が一番うまく使えると思う言葉を使ってください(場合によっては、それは学術用語ではないかもしれません)。とりわけ、授業内容の要約はいりません。

〈メディア〉の観点から論じるというとき、それが作中に閉じ込められることなく、作品外への一般的な広がりをもった議論となるように考えを練ってください。例えば、『ドラえもん』のタイムマシンは、それがなくては話が成立しませんから、のび太とドラえもんの共同生活を可能にするメディアだと言えるかもしれませんが、それだけだとこの作品の設定を解説していることにしかなりません。しかし、それが「机の引き出し」の中にあることの意味にまで考えを進めれば、それは「引き出し」というもののメディア的特性にまで達する議論となりうるわけです。

あと、いくつか形式面での「お願い」です。(1)「表紙」はつけないでください(分厚くなるし採点時に邪魔なので)。(2)縦書き印刷はやめてください(今回一人いましたが、私としては横書きを想定していました)。(3)手書きはやめてください(手書きは読みにくさの一因であり、読みにくさは低評価の一因となります)。

2015年12月8日火曜日

2015年度「社会学特殊講義」レポート課題


期末レポート課題

  • 「配布した(もしくはその他の)ルーマンのテクストから、(批判、擁護、展開、応用など)何らかの仕方で自分が最も有意義に論じられそうな箇所を選び、有意義に論じよ」

提出期日・提出場所

  • 2016年1月14日(木)
  • 提出先:法文2号館1階社会学研究室(閉室は17:00

分量等

  • A4用紙(40字×40行)2枚以上。添付資料として画像等の貼付けも可だが規定分量には含まない。

2015年8月10日月曜日

2015年度「情報メディア基礎論」レポート課題


期末レポート課題

  • 「〈メディア〉を主題的に扱っている〈作品〉を一点選び、その主題を中心にその〈作品〉を論じなさい」

提出期日・提出場所

  • 2年生: 7月14日(火)~7月23日(木)
  • 1年生: 7月14日(火)~8月10日(月)頃(事務の一斉休業期間との兼ね合いで微調整の可能性あり)
  • 提出先: 教務課の提出ボックス(期日の16:50まで提出可能

分量等

  • A4用紙(40字×40行)4枚以上(原稿用紙換算で16枚以上)。添付資料として画像等の貼付けも可だが規定分量には含まない。

途中課題

  • 「期末レポートの作成に向けて、取り上げる〈作品〉を決め、レポートの構成・計画を書きなさい」
  • 提出期日: 6月30日(火)の本授業終了時
  • 分量等: A4用紙(40字×40行)1枚程度

  • 注意: 期末レポートでは、この途中課題で提出したものから、扱う〈作品〉やレポートの内容が変更になっても構わない。

2015年2月21日土曜日

ルーマン『システム理論入門』メモ

編者まえがき


【訳文】

ルーマンは、文を少しばかり修正するためだけに、印刷する準備のできた原稿を先送りすることがつねであった


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,6頁
【原文】

Luhmann pflegte weitgehend druckreif vorzutragen, dennoch war der eine oder andere Satz leicht umzuformulieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 7

邦訳はなぜかdennoch以下が目的を表すと思ったらしい(なんで?)。あとvortragenに「先送りする」なんて意味はない。正しくは、「ルーマンの講義はそのまま印刷に回せるくらい整っていたが、何点か軽微な修正を加えた」ということ。


【訳文】

ルーマンが行ってきたあらゆる講義同様に、広範囲にわたるテキストの口語的特徴は、この講義の性格を際立たせている


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,6頁
【原文】

Der noch weitgehend mündliche Charakter des Textes unterstreicht den Arbeitscharakter dieser Vorlesung wie jeder von Luhmann gehaltenen Vorlesung.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 7

weitgehendはmündlichを修飾している。またArbeitscharakterが「性格」としかされていなくて、どんな性格なのかわからない。これはArbeitspapier(英語ならworking paper)と同じArbeitで、まだ作業段階ということ。したがって正しくは、「[修正を加えても]なお強く残るこのテクストの口語的性格は、この講義の内容が依然未完成のものであったことを示している」くらい。


【訳文】

この講義のテーマについては、一九八四年に刊行された著書『社会システム――一般理論要綱』と併せて、ルーマンが解説に徹したという、一つの印刷原本があった


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,6頁
【原文】

Für die Thematik dieser Vorlesung gab es zwar mit dem Buch Soziale Systeme: Grundriß einer allgemeinen Theorie aus dem Jahr 1984 eine Druckvorlage, auf deren Erläuterung Luhmann sich hätte beschränken können.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 7

邦訳は未公刊の草稿があったかのように書いているが大間違い(そんなのあったら大ニュースである)。このmitは「加えて」ではなく「~によって」(ここでは「~として」に近い)ということ。また接続法を用いた「~することもできた」という表現が全然読めていない。正しくは、「本講義のテーマについては1984年に『社会的システム』がすでに出版されていて、講義をその内容の解説に当てることもできたはずだった」(がしなかった)ということ。


【訳文】

しかしながら、最初の主著とルーマンが呼ぶ、この著書(『社会システム』)が刊行されて以来六年の問、ルーマンは研究の重点を移動した。つまり、それまでとは異なったかたちで本を執筆していたのである


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,6頁
【原文】

Doch zum einen hatte Luhmann in den sechs Jahren seit der Publikation dieses Buches, das er als sein erstes "Hauptwerk" bezeichnete, bereits wieder Akzentverschiebungen vorgenommen, die ihn auch dazu gebracht hätten, das Buch etwas anders zu schreiben, als er es geschrieben hatte.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 7

邦訳は接続法を無視して実際に書いたことにしているがこれは反実仮想である。つまり、仮にこの重点移動が『社会的システム』の出版前に起こっていれば、「この本[=『社会的システム』]は現在のものとは若干違う形で書かれていただろう」と言っているのである。


【訳文】

ルーマンが入門的講義を行うということには、みずからの著書におけるよりもさらに根本的に、つぎのことが強調されている。それはすなわち、理論というものが一つの構成作用であるということである。この構成作用は、さまざまな場所で概念的決定に引き戻されるものであり、また事実からも理論からも導くことができず、また経験的にも演鐸的にも存在しない。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

Eine Einführungsvorlesung zu halten bedeutete für Luhmann, wesentlich stärker als in seinem Buch den Umstand zu unterstreichen, dass eine Theorie eine Konstruktionsleistung ist, die an vielen Stellen auf begriffliche Entscheidungen zurückzuführen ist, für die keine eindeutige, weder aus der Sache noch aus der Theorie abzuleitende, das heißt weder empirische noch deduktive Maßgabe existiert.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 7-8

邦訳はつまるところ「理論は存在しない」と主張しているがもちろん間違い。「存在しない」とされているのはMaßgabeであるが邦訳は見落としたのだろう。正しくは、「ルーマンにとって入門講義を行うことには、理論が一つの構築物にほかならないことを、著書におけるよりもはるかに強く打ち出すという意義があった。すなわち理論は、事実に由来する経験的基準も、理論に由来する演繹的基準ももたない数多くの概念的決定によって組み立てられているというのである」みたいな(この訳文はちょっとだけ工夫してある)。


【訳文】

この講義では、著書の中である一定のやり方で決定が下されてきたさまざまな場所が、ルーマンにとって重要であった。それは、強く勧めるというわけではないとしても、少なくとも別の決定を可能にするための場所である


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

In der Vorlesung ging es Luhmann daher darum, an vielen Stellen, an denen er sich im Buch auf bestimmte Weise entschieden hatte, anders mögliche Entscheidungen zumindest offen zu halten, wenn nicht sogar nahe zu legen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

邦訳は構文が全然読めていないのでいちいち指摘しない。正しくは、「だからこの講義でルーマンは、著書[=『社会的システム』]で一定の決定を下した各々の点において、それとは異なる決定の可能性を――推奨するまではいかないとしても――保持することに努めている」くらい。


【訳文】

本書は、読者を理論構築物の変更や他の可能性による実験へ誘うかもしれないが、あくまでも社会システムの一般理論というルーマンのテキストである。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

Das Buch ist seine Version einer allgemeinen Theorie sozialer Systeme, selbst wenn es auch im Buch die Einladung an jeden Leser gibt, die Theoriearchitektur umzustellen und mit anderen Möglichkeiten zu experimentieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

これは「本書」ではなく『社会的システム』のこと。また、この逆接は、邦訳とは逆に訳したほうが次の文との接続もいい。つまり、「『社会的システム』はルーマン版の一般社会的システム理論であるが、読者に対し、理論の構造を変更してみたり、他の可能性を試してみるよう誘いかける部分も含まれてはいた」くらい。


【訳文】

それぞれの定式化のなかで、人びとはすぐにでも気づくかもしれないが、いかにこの実験が、細部における変化だけではなく、理論構築物内部の一貫性を、すなわち完全性を目指すものであるか、ルーマンは実験している


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

In jeder Formulierung experimentiert Luhmann, selbst wenn man sehr schnell merkt, wie sehr diese Experimente nicht nur auf Variationen im Detail, sondern auch auf Stimmigkeit innerhalb der Theoriearchitektur, also auf das Ganze, zielen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

邦訳が「いかにこの実験が~であるか、ルーマンは実験している」と不思議なことになっているのは、wie以下がmerkenの目的語であることに邦訳が気づいていないからである。またこの "auf ... zielen" は「目指す」ではなく「標的にする」。正しくは、「あらゆる定式化に際し、ルーマンは実験を行っているのだが、読めばすぐにわかるとおり、この実験は細部の定式化にとどまらず、理論構造内部の整合性、つまり全体をもその標的としているのである」くらい。


【訳文】

著書における表現に比べ、ルーマンがこの入門の講義において前面に出す重点の移動は、事実にもとづいたものであり方法論的なものであり、そして状況にもとづいたものでもあった


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

Die Akzentverschiebungen, die Luhmann in dieser Einführungsvorlesung gegenüber der Darstellung in seinem Buch vornimmt, sind daher sowohl sachlich als auch methodisch, aber auch situativ begründet.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

いろいろ間違っているのだが(ただ雰囲気は合ってる)、vornehmenに「前面に出す」という意味はないよね。正しくは、「したがってルーマンが『社会的システム』での呈示に対置せんと試みる重点移動には、内容と方法に加えて状況のうえでもそうすべき理由があるのである」とか。


【訳文】

このことは理論構築において、ジョージ・スペンサー=ブラウンの区別の算法からウムベルト・マトゥラーナのオートポイエーシス概念へいたる緩やかな重点の移動を指し示す効果をもっている。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

Das hat im Theorieaufbau Auswirkungen, die auf eine allmähliche Verschiebung des Akzents vom Autopoiesisbegriff Humberto R. Maturanas auf George Spencer-Browns Unterscheidungskalkül hinweisen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

重点移動の方向が正反対である(これはちょっとひどすぎる)。正しくは「ウンベルト・R・マトゥラーナのオートポイエーシス概念からジョージ・スペンサー=ブラウンの区別の算法への」


【訳文】

それにより、ルーマン自身がとりわけ自身の理論の観察者として示され、また別の観察者、つまり読者も、同様にみずからの区分をもった観察者として関わることが可能となる


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

Und es ermöglicht, Luhmann selbst als Beobachter einer Theorie, die nicht zuletzt auch seine eigene ist, vorzuführen, der andere Beobachter, sein Publikum, dazu einlädt, sich ebenfalls als Beobachter mit ihren Unterscheidungen ins Spiel zu bringen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

邦訳は動詞einladenを見落としている。あと、最重要概念であるUnterscheidungを定訳の「区別」ではなく「区分」とするのはよくない。いずれにせよ正しくは、「これにより、ルーマン自身を理論の観察者として、とりわけ彼自身の理論を観察する者として呈示することが可能になる。そして他の観察者、つまり読者もまた、各自の区別をもった観察者としてそこに加わるよう促される」とか。


【訳文】

同時にルーマンの社会学は、理論構築物における未解決な問題の扱いを、概念による空虚な戯れに終わらせるようなものではない。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

Gleichzeitig ist Luhmann Soziologe genug, um diesen Umgang mit offenen Fragen der Theoriearchitektur nicht in einem leeren Spiel mit Begrifflichkeiten enden zu lassen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

邦訳はおそらくLuhmanns Soziologieと誤読してあとは雰囲気で訳したのだろう。正しくは、「同時にルーマンは、理論構築上の未決問題の扱いを、概念との空虚な戯れで終わらせてしまわない程度には社会学者であった[終わらせてしまうにはあまりにも社会学者であった]」とか。


【訳文】

理論研究を行っている固有の状況、講義室、大学、専門分野としての社会学、西洋文明のコンテクスト、同様にもっとも広義な言葉の意味における世界社会のエコロジー上の自己危機が、他の観察者の視点の差異を差異として携える連続的な試みのように、ルーマンの考察を規定する


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7頁
【原文】

Die eigene Situation, in der die Arbeit an der Theorie stattfindet, der Vorlesungssaal, die Universität, die Soziologie als Fachdisziplin, der Kontext einer westlichen Zivilisation sowie die im weitesten Sinne des Wortes ökologische Selbstgefährdung der Weltgesellschaft bestimmen seine Überlegungen ebenso wie die kontinuierlichen Versuche, die Differenz anderer Beobachterperspektiven als Differenz mitzuführen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

「もっとも広義な言葉の意味」(危険が危ない的な)はともかくとして(しかしこれも、「世界社会」のことか「エコロジー」のことか「自己危機」のことか訳文からは判別不能。正解は「エコロジー」)、ebenso wieを「のように」はありえない。正しくは、「……の状況が、彼の考察と……連続的な試みの双方を規定している」。


【訳文】

それぞれの概念によって、少なくとも経験的に納得させられる必要はない


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,7-8頁
【原文】

Jeder Begriff muss nicht zuletzt empirisch überzeugen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

邦訳は正反対。正しくは、「概念に何よりもまず必要なのは、経験的な説得力をもつことである」。


【訳文】

社会学者は、概念が形成されたがゆえに、それが実在する事物を示しているというイメージに別れを告げるとき、このことにこだわる


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,8頁
【原文】

Darauf besteht der Soziologe auch dann, wenn er sich von der Vorstellung verabschiedet hat, dass ein Begriff, den man bildet, deswegen, weil man ihn bildet, auch schon eine Sache bezeichnet, die tatsächlich vorliegt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 8

邦訳はauch wennのニュアンスを捉えられていない。正しくは、「概念を形成しさえすれば、それだけでその概念は実在する事物を指示するものとなると考える人はさすがにもういないが、それでも社会学者はそれ[=概念と現実との結びつき]にこだわるのである」とか。


【訳文】

アルフレット・ノース・ホワイトヘッドは、具体的な出来事を抽象的な概念から導き出すことに対する誤解に「置き違えられた現実の誤謬(the fallacy of misplaced concreteness)」との名称をつけたが、これは、ルーマンには当てはまらない。というのは、このとき概念は説明の記述や整理には役立つが、概念の側には説明が用意されていないというカントの確信もグレゴリー・ベイトソンの信念もルーマンが区分するからである


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,8頁
【原文】

Der "fallacy of misplaced concreteness", wie Alfred North Whitehead das Missverständnis genannt hat, aus abstrakten Begriffe konkrete Fakten ableiten zu können, unterliegt Luhmann schon deswegen nicht, weil er sowohl Kants als auch Gregory Batesons Überzeugung teilt, dass Begriffe dabei helfen, Erklärungen zu beschreiben und zu sortieren, aber nicht ihrerseits die Erklärungen bereits sind.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

まず前半、「~に対する誤解」ではなく「~という誤解」。後半、dabeiのdaが次のzu不定詞句であることが読めていないのと、副詞bereitsを「用意されている」と読む出鱈目さと、「カントの確信もグレゴリー・ベイトソンの信念もルーマンが区分する」なる新しい日本語の創造と(このteilenは「共有する」)。正しくは、「アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、抽象的な概念から具体的な事実が導出可能であるとの誤解を……と呼んだが、ルーマンがこれに当てはまらないことは、概念は説明を記述し分類するのに役立つものではあるが概念それ自体が説明であるわけではないとするカントおよびグレゴリー・ベイトソンの見解を彼もまた共有しているという一点を見ても明らかである」とか。


【訳文】

観察者は認識を得るための新たな事実などというものではなく、一つの説明原理である。数え切れないほどの他の説明原理は、まずもってこの新たな事態に適応されなければならず、それゆえに観察者という説明原理を学問に導入することは、予測不能な諸帰結に直面している。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,8頁
【原文】

Der Beobachter ist nicht einfach ein neues Faktum, das man zur Kenntnis zu nehmen hat, sondern er ist ein Erklärungsprinzip, dessen Einführung in die Wissenschaft deswegen von unabsehbaren Konsequenzen ist, weil unzählige andere Erklärungsprinzipien erst noch auf dieses neue abgestimmt werden müssen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

前半、邦訳のように読むのは不可能。少し補って訳すが、「観察者というのは単なる一事実としてその存在を認識しておけばいいというものではなく」くらい。後半、erst nochは「まずもって」ではなく「その後さらに」だし、dieses neue [Prinzip]は「新たな事態」ではなくちゃんと「新たな原理」とすべき。


【訳文】

それは、ハインツ・フォン・フェルスター、ウムベルト・マトゥラーナ、フランシスコ・ヴァレラなどの一般システム理論のレベルで導入されたものである。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,8頁
【原文】

Der Beobachter [...] sondern von Heinz von Foerster, Humberto Maturana, Francisco Varela und anderen auf der Ebene der allgemeinen Systemtheorie eingeführt wurde


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

「……ヴァレラらによって、一般システム理論のレベルで導入された」。


【訳文】

多くの叙述が彼にとって未完であり、そして不確かであった


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,8頁
【原文】

Zu unfertig und zu unsicher wären ihm viele Darstellungen gewesen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

これも接続法無視。「公刊するにはあまりにも」というニュアンスがほしい。


【訳文】

しかしルーマンは、研究帳や資料集として編集されるこのトランスクリプションの刊行に反対はしなかったと思う。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,8頁
【原文】

Ich vermute jedoch, dass er sich nicht dagegen gewehrt hätte, diese Transkription als Arbeitsbuch und Materialiensammlung herauszugeben.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

「このトランスクリプションが……として編集刊行されることに」。


【訳文】

ルーマンは、著者として本書に対する責任を示している


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

Luhmann zeichnet auch für dieses Buch als Autor verantwortlich.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

「著者としての責任で本書に名を記される」とか。


【訳文】

なんといってもルーマンは、ここに文字に起こされた講義を日々行っていた。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

Immerhin hat er die hier transkribierte Vorlesung tatsächlich gehalten.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

「実際に」。たぶん邦訳はtatsächlichをtagtäglichと見間違えたのだろう。


【訳文】

とはいっても編者はこの講義を、ルーマン自身が行わなかったであろう一冊の書物としての刊行に対し、責任を負わなくてはならない。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

Der Herausgeber hat jedoch zu verantworten, dass dies ein Buch ist, das Luhmann selbst nicht publiziert hätte.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9

邦訳は日本語になっていない。「本書が、ルーマン自身が生きていれば刊行しなかったはずの本であることには責任を負わなくてはならない」くらい。


【訳文】

また、この本がほかのどのような本よりも録音した講演の補完かつ手引きとして適していると指摘することにより、理論への生きた作業に導入し、また理論の教条的閉鎖性という印象に対抗する責任を引き受けている


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

Er übernimmt die Verantwortung, indem er darauf hinweist, dass dieses Buch in Ergänzung und zur Begleitung der Tonbandkassetten der Vorlesung wie kein anderes geeignet ist, in die lebendige Arbeit an der Theorie einzuführen und dem Eindruck der dogmatischen Geschlossenheit der Theorie entgegenzutreten.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 9-10

邦訳は構文が全然読めていない。正しくは、「編者はこの責任を、本書および付属の録音音声こそは、生きた理論研究への入門として、また理論は教条的で閉鎖的だとの印象を払拭するものとして最適であり、これに匹敵する書物は存在しないと指摘することで果たすものである」とか。


【訳文】

このテキストに対するわたしの仕事は、文字に書かれたものを一般的な文体に合わせることに限定されている。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

Meine Arbeit an dem Text beschränkt sich darauf, ihn einem im Schriftlichen üblichen Textduktus anzupassen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 10

邦訳は目的語ihnを無視し、本来ひと繋がりのSchriftlichenとüblichenの間を切っている。正しくは、「私の仕事は、[元は口語の]テクストを書き言葉の文体に揃えることに限定されている」くらい。


【訳文】

ただし、「もちろん」、「実際に」、「本当は」、「そもそも」、あるいは「とりわけ」のような置き換えの言葉、話し言葉における一般的な虚辞は省略してある。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

jedoch bemerken, dass ich Wörter umgestellt und manche im Mündlichen üblichen Füllwörter wie "natürlich", "wirklich", "eigentlich", "überhaupt" oder "vor allen Dingen" ausgelassen habe.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 10

赤字部分は置き場所を間違えている? どうやったらこんな間違え方ができるのかわからないが、とにかく正しくは、「ただし、言葉遣いを変えたところがあるのと、(……)のような話し言葉では一般に用いられる虚辞は省略してあるので注意されたい」くらい。


【訳文】

注はすべて、わたしによるものである。また、注はルーマンの講義を補うために限定して作成された


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

Alle Fußnoten stammen von mir, aber auch hier habe ich mich in der Regel darauf beschränkt, die bibliografischen Referenzen für von Luhmann gegebene Verweise zu ergänzen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 10

邦訳は原文に含まれる重要な情報が全部抜けている。正しくは、「ただしここでもやはり、基本的にルーマン自身による文献指示に対して書誌情報を補うだけにとどめた」とか。


【訳文】

この講義を文字に起こし第一次原稿を作成してくれたクリステル・レック‐サイモン


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,9頁
【原文】

Christel Rech-Simon, die die Vorlesung in eine erste Textfassung transkribiert hat


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 10

ドイツ人なんだから「レヒ‐ジーモン」だと思うけど。



I 社会学とシステム理論

1 システム維持の機能主義


【訳文】

少なくとも二〇年は社会学の発展から遅れをとっていると言わんばかりの、驚くべき論評


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,14頁(担当:徳安彰)
【原文】

erstaunte Kommentare, so als ob man mindestens 20 Jahre hinter der Entwicklung des Faches zurück sei


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 12

論評は「驚くべき」なのではなく、「驚いている」のである。「驚いた様子で~と論評される」みたいに。


【訳文】

人が社会を研究したいと思うなら、もちろん社会が存続しなければなりません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,15頁(担当:徳安彰)
【原文】

Sie muss natürlich bestehen, wenn man sie erforschen will.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 13

これは、研究しようと思うなら(そもそも対象が存在していなければならないという意味で)「社会が存立していなければならない」という意味だから、邦訳はニュアンスがちょっと違う(またその意味でこのあたり「存続」という言葉は誤導的だろう)。


【訳文】

ただし、それはせいぜいのところ存続前提のリストやカタログに行き着いただけで、それ以上の理論的な基礎づけをすることができず、アドホックに導入されただけでした。もちろん第一義的には、社会理論というからには、経済の領域も、政治の領域も、家族の領域も、宗教や基本価値の領域も、いっしょに理論のなかに含めなければならない、という思いが背景にありましたが


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,15-16頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das hat dann allerdings bestenfalls nur zu einer Liste, zu einem Katalog von solchen Bestandsvoraussetzungen geführt, die theoretisch nicht weiter begründet werden konnten, sondern ad hoc eingeführt wurden und primär natürlich mit dem Hintergedanken, dass man bei einer Gesellschaftstheorie sowohl den Bereich der Wirtschaft als auch den Bereich der Politik, den Bereich der Familie, den Bereich der Religion und der grundlegenden Werte mit in die Theorie einbeziehen müsse.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 13-14

邦訳は赤字部分を「いいこと」のように訳しているが違うだろう。「第一義的には」を「なによりもまず」に変え、最後の「が」を除くべき。


【訳文】

構造の機能を問うたり、存続、存続前提、変数といった概念や方法論的装置の全体をさらに分析したりしても、ほとんど意味はありませんでした


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,16頁(担当:徳安彰)
【原文】

Es machte wenig Sinn, nach der Funktion von Struktur zu fragen oder Begriffe wie Bestand, Bestandsvoraussetzung, Variable oder den ganzen methodologischen Apparat weiter aufzulösen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 14

邦訳だと「やったけど意味なかった」という感じだが、実際はやってないんだ。つまり、構造機能アプローチによって概念研究が限定されていたから、「~を問うたり~を分析することが意味をなさなかった」のである。


【訳文】

そのような理論には、逸脱、逸脱行動、犯罪、逆機能の全領域が含まれているはずであり


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,16頁(担当:徳安彰)
【原文】

Der ganze Bereich der Devianz, des abweichenden Verhaltens, der Kriminalität, der Dysfunktionen gehört in diese Theorie hinein


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 14

微妙なニュアンスの違いだが、原文直訳だと「全領域が理論の中に入ってくるのであり」だから、「理論の中に含まれていなければならず」くらい。「含まれていてしかるべきはずであり」でもいいか。


【訳文】

そうなると、この理論が放棄されてしまった理由は、理論技法的なものというよりはイデオロギー的なものだったと言うことができます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,18頁(担当:徳安彰)
【原文】

Die Gründe, weshalb das aufgegeben worden ist, waren denn auch mehr ideologischer Art als, sagen wir, theorietechnischer Art.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 16

邦訳は前段落の内容を受けて判断を下しているように読めるが間違い。この段落は、前段落で記した内容(=機能主義が代替理論もないままに捨てられてしまった)に追加情報(機能主義批判はイデオロギー的なものであった)を加えているのである。ゆえに "denn auch" は「実際」と訳すべき。



2 パーソンズ


【訳文】

しかしそれと同時に、ヴェーバーはシステムに関する構成要素を自分の体系に取り込むべきだったし、他方デュルケムはどのような素材から社会が形成されているのか問うことを避けられなかったはずだ、と指摘しています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,22頁(担当:徳安彰)
【原文】

Er weist aber zugleich nach, dass Weber Systemkomponenten in sein System aufnehmen musste und andererseits Durkheim nicht umhinkam zu fragen, aus welcher Art von Material denn Gesellschaften gebildet seien.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 20

邦訳は反実仮想的に訳しているが間違い。ここは実際に「ヴェーバーは~を取り込まざるをえなかったし、デュルケムは~を避けられなかった」(ことをパーソンズは示した)と言っているのである。


【訳文】

言い換えれば、行為を成り立たせるためにいっしょに働かなければならない構成要素が存在する、ということです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,22頁(担当:徳安彰)
【原文】

Dass es, mit anderen Worten, Komponenten gebe, die zusammenkommen müssten, um Handlungen zu ermöglichen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 20

邦訳だと「行為と一緒に働く行為以外の構成要素がある」みたいな感じに読める。「行為は、複数の構成要素が結びついてはじめて可能になる」くらいにしておいたほうがいいだろう。


【訳文】

パーソンズは「分析的リアリズム」について語りましたが、それは、現実の行為の創発が問題となるかぎりにおいて「リアリズム」がある、という意味です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,22頁(担当:徳安彰)
【原文】

Parsans spricht von "analytischem Realismus", und er meint damit, dass insofern ein "Realismus" vorliege, als es um die Emergenz wirklichen Handeins gehe.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 20

この一文の訳としては間違っていない("von A sprechen"は「Aについて語る」ではなく「Aという言葉を使う」とすべきだが)。しかし、この内容を「という意味です」としてしまうのは端的に誤り(「リアリズム」の説明にしかなかっていない)なので、元が話し言葉であることを考慮して、「パーソンズは『分析的リアリズム』と言っているのですが、まず「リアリズム」については現実の行為の創発について論じる限りでこの言葉を使い、」とかにしておいて後の文と続けるといいだろう。


【訳文】

行為者は(1)何のためにみずからの行為を行うのか、行為者は(2)何によってみずからの行為を達成しようとするのか、という二つの構成要素がそれです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,23頁(担当:徳安彰)
【原文】

Wozu setzt ein Handelnder (1) sein Handeln ein, was will er (2) damit erreichen — zwei Komponenten.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 20-21

結論から言うと、これは原文に問題がある。

まず、邦訳の(2)は、原文の訳としては明らかに誤訳である。ところが原文の通りに訳すと、wozu ... の部分とwas...の部分はまったく同じ内容を述べており、(1)と(2)を合わせて2つの構成要素(目的と手段)になるという話にならない。邦訳は原文を無視してでもこの条件を満たそうとした結果である。

英訳は "(1) To what purpose does an actor make use of his action?; and (2) What does he intend to achieve by this? — these are two components." と番号の位置だけ変えて原文に忠実に訳しているが、結果として、(1)も(2)も内容が同じだという問題を抱え込んでいる。

私の結論は「編者が勝手に番号を挿入したのが諸悪の根源」というものである。そもそも原文は番号の位置がおかしい(英訳が位置を変えたのは当然である)。ところが番号を除去して読めば読解上の困難は消去されるのである。すなわち、wozu ... の部分とwas...の部分は同じ内容を言い換えているだけであり、それぞれの内部に目的と手段の2つがすでに含まれているのだ。そして実際――講義を録音した音声ファイルで確認したが――ルーマン自身は(1)とか(2)とか言っておらず、これらが編者の挿入なのは確実である。

というわけで正しくは、「行為者が自分の行為を何のために投入するのか、つまり、それによって何を達成しようとしているのか、ここには二つの構成要素があるわけですね」みたいにすべき。これは目指すべき行為結果が「目的」、行為そのものが「手段」ということである。この点から見ると、邦訳の解釈は、「手段」を行為を達成するための手段としている点で不適切である。つまり、目的と手段の間に目的でも手段でもない行為という第三項が挿入されてしまっているわけだ。


【訳文】

ほかの誰かであってもその行為を遂行することはできますが、社会のなかで何らかのかたちで行為の準備が整えられ、何らかのかたちで行為の潜在的可能性が具体化されるので、行為は起こりえます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,24頁(担当:徳安彰)
【原文】

Es könnte auch jemand anderes diese Handlung durchführen, aber irgendeine Handlungsbereitschaft, irgendeine Konkretisierung von Handlungspotenzial muss in der Gesellschaft vorhanden sein, damit Handlung zustande kommen kann.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 22

邦訳の逆接が意味をなしてないのはmüssen(およびdamit)を無視しているから。正しくは、「この行為を遂行するのは他の誰かであってもかまいませんが、行為が成立しうるためには、社会の中で何らかの形で行為の準備が整えられていること、つまり行為の潜在的可能性が何らかの形で具体化していることが必要です」くらい。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,25頁(担当:徳安彰)

この図は原書どおりであり(英訳書にも載っている)、ベッカー編になる本書の邦訳書としては載せていても構わないが、この図をこの箇所に掲示するのは明らかに不適切(編者の不手際)である。というのもルーマンはこの図全体をパーソンズの行為システムとして解説しているにもかかわらず、図では右上のセルだけが「行為システム」とされているからである。読者は右上のセルの「行為システム」、図タイトルの「「人間の条件の一般パラダイム」における行為システム」および右中央の「(人間の条件に対する)」をホワイトで消すことで適切な図を得ることができる。加えて、邦訳43頁の註(2)も塗りつぶして読めないようにすべき。


【訳文】

システムは、そう言ってよければ、外部関係を道具化することによって、手段としてふさわしい状態を実現し、システムと環境の間の充足関係を作り出そうとします


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,25頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das System instrumentalisiert, wenn man so sagen darf, die Außenbeziehungen und versucht, einen Zustand zu erreichen, der als Mittel geeignet ist, befriedigende Verhältnisse zwischen System und Umwelt herzustellen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 23

邦訳はherzustellenがversuchtから来ていると解しているが間違い。これはgeeignetから。つまり、正しくは「手段としてシステムと環境の間の充足的な関係を作り出すのに適した状態に達しようとします」くらい。


【訳文】

言い換えれば、行為は充足状態を実現しなければならず、さもなければ中止されます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,26頁(担当:徳安彰)
【原文】

Handeln muss, anders gesagt, befriedigende Zustände erreichen, oder es unterbleibt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 24

「中止」では弱い。「さもなければ行為として成立しません」とか。


【訳文】

「道具的」なのは、未来においてもそのような構造が利用可能であるように配慮されなければならないからです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,27頁(担当:徳安彰)
【原文】

"instrumental", denn es muss dafür gesorgt werden, dass auch für die Zukunft solche Strukturen verfügbar sind.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 24

このsorgenは「配慮」ではないだろう。「利用可能なようにしておかなければならない」で十分。


【訳文】

この技法の図式は、何かを見逃すことはないから、むしろ第四のボックスで何が起こるのか、あるいは第二のボックスでどんな事態になっているのか、つねに問えばよいのだということを保証します。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,27頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das Schema dieser Technik stellt sicher, dass man nichts übersieht, sondern immer fragen muss, was mit der vierten Box geschieht oder was in der zweiten Box der Fall ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 25

「つねに問わなくてはならない」。


【訳文】

問題となるのは可能性の論理的な範囲である、と言ってもいいでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,28頁(担当:徳安彰)
【原文】

Es geht, könnte man auch sagen, um einen logischen Raum von Möglichkeiten.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 26

これはウィトゲンシュタインを想起させているんじゃないか。「可能性の論理空間」。


【訳文】

パーソンズの理論は、その判断をある程度未決のままにしており、社会的現実に委ねています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,29頁(担当:徳安彰)
【原文】

das lässt die Theorie gewissermaßen offen und überlässt es der sozialen Realität


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 27

「ある程度」ではなく「いわば」。


【訳文】

少なくとも、ほかの洞察が並存していない文脈、つまり理論的に統合されたただ一つの文脈のなかでは、そのような説得力や洞察は得られないでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,32頁(担当:徳安彰)
【原文】

Jedenfalls würde man sie nicht in einem Kontext finden, in dem es nicht auch andere Einsichtsgewinne gibt, das heißt in einem einem theoretisch-integrierten Kontext.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 30

邦訳は原文どおりだし英訳書も同様なのだが、どう考えても意味が通っていない。音声ファイルを確認してみた(0.5倍速で何回も聞いた)が、私には "in dem es auch andere Einsichtsgewinne gibt" と言っているように聞こえた(つまりnichtとは言っていない)。これが正しいなら、「他の知見も合わせて得られるような文脈、つまり理論的に統合された文脈で、このような[=パーソンズ並みに独自の]知見は得られない」となって意味が通る(つまり他の知見と体系的に連動した形で知見が得られるということだろう)。あとeinemが2つ連続しているのも編者のミスだろう。


【訳文】

行為が充足的に推移するとは、行為の遂行においてアリストテレス的な意味での「実践(práxis)」として充足するか、あるいはそうしたければ目的観念や目的達成を喜ぶことができるということです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,33頁(担当:徳安彰)
【原文】

also entweder im Vollzug der Handlung, im aristotelischen Sinne als "práxis", befriedigen oder sich an Zielvorstellungen und am Zielerreichen erfreuen können, wenn man so will.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 30

「目的観念」というと一般的な観念の読めるが、このZielvorstellungは「目的が達成された状態を想像すること」の意。あと最後の "wenn man so will" は「言ってみれば」とか「と言ってもいいだろう」みたいな意味であって「喜ぶことができる」にかかっているわけではない。


【訳文】

こう言うとパーソンズが呈示したことを超えてしまいますが、心的システムは、内部の選好つまり自意識、意識の意識を、外部に対する言及つまり知覚とつねに媒介することができる、と言っていいのかもしれません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,33頁(担当:徳安彰)
【原文】

Vielleicht kann man sagen- aber das geht über das, was bei Parsons vorliegt, hinaus -, dass das psychische System in der Lage ist, ständig interne Präferenzen, also Selbstbewusstsein, Bewusstsein des Bewusstseins, mit externen Referenzen, also mit Wahrnehmung, zu vermitteln.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 30

邦訳は原文のママなのだが、英訳者がこの箇所について、文の後半で "externen Referenzen" とあるので "interne Präferenzen" は "interne Referenzen" の文字起こしの際のミスだろうと指摘している。確かにそのほうが対照がきれいだし、そもそも自己意識を内部の「選好」と言われても意味がわからない。他方、音声ファイルを聴いてみると、Präferenzenと言っているように聞こえるような気もする。ちょっと困った。


【訳文】

このように考えれば、本来の心的作用は、長いヨーロッパの思想的伝統と異なり、むしろ知覚に移ること(……)がわかります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,33頁(担当:徳安彰)
【原文】

Lässt man sich auf diesen Gedanken ein, sieht man, dass die eigentliche psychische Leistung sich im Unterschied zu einer langen europäischen Tradition vom Denken eher auf das Wahrnehmen verlagert


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 30

邦訳は "Tradition vom Denken" と読んで「思想的伝統」としているのだが間違い。 "vom Denken eher auf das Wahrnehmen verlagert" がひとまとまりで、「思考から知覚へと移行する」である。ヨーロッパ的伝統では心の本質は思考にありとされてきたが、パーソンズはいや本質は知覚だと言った、ということ。


【訳文】

パーソンズの五〇年代以降の研究テーマでもありますが


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,33頁(担当:徳安彰)
【原文】

das ist übrigens ein parsonssches Forschungsthema aus den 50er-Jahren


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 30

「五〇年代以降の」ではなく「五〇年代の」。


【訳文】

わたしが言いたいのは、心的システムを主として知覚について主題化する、あるいは心的システムの行為に対する貢献を、知覚の可能性、心の知覚世界について主題化すると決めれば、全体モデルのこのコーナーにパーソンズがこの選択肢をおいたことが高い説得力をもつ、ということです


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,33頁(担当:徳安彰)
【原文】

Ich meine, wenn man die Entscheidung trifft, psychische Systeme dominant über Wahrnehmung zu thematisieren oder auch nur ihren Handlungsbeitrag über die Wahrnehmungsmöglichkeit, über die Wahrnehmungswelt der Psyche, zu thematisieren, dass man dann der parsonsschen Option in dieser Ecke des gesamten Modells hohe Plausibilität abgewinnen kann.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 31

すごく微妙な違いではあるが、wenn節がdass節の外に置かれていることを訳文に反映するなら、こんな感じ→「つまりですね、まあこれは心的システムを主題化するのに知覚を基本にするというか、行為に対する心的システムの貢献を知覚可能性とか心の知覚世界の観点から主題化することにしたらと、そういう前提のもとでの話ではあるんですが、パーソンズみたいにモデル全体の中のこの位置にパーソナリティをもってくるのは結構説得力がある議論かもしれないと思うんです」。


【訳文】

パーソンズの考えは、行為をさまざまな有機体やパーソナリティ・システムと調整することが重要(……)である、ということのようです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,34頁(担当:徳安彰)
【原文】

Der Gedanke von Parsans scheint zu sein, dass es darauf ankommt, die Handlungen verschiedener Organismen und Personensysteme zu koordinieren:


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 31

Handlungenの後は2格なので邦訳のように読むのは無理。ただしくは「複数の有機体および人格システムの行為同士を調整する」。


【訳文】

人は自分がどこにいて、何に貢献するのか知っているのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,35頁(担当:徳安彰)
【原文】

Man weiß, wo er ist und wozu er dient.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 33

これは何週間も使ってなかったハンマーの再利用可能性の話を受けているのであって、主語erは「ハンマー」である。つまり、(何週間も使ってなくても)「それがどこにおいてあり、何に使うものかがわかっている」ということ。


【訳文】

この場合、統合可能性とは統合という特定の機能ではなく、時間を超えたシステム統合という意味で理解されます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,35頁(担当:徳安彰)
【原文】

Dabei wird Integrierbarkeit nicht im Sinne der spezifischen Funktion der Integration verstanden, sondern im Sinne der Systemintegration über Zeichen hinweg.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 33

邦訳は "über Zeichen hinweg" を "über Zeit hinweg" に正して訳している(英訳書はそのまま "system integration via signs" としている)が、私も邦訳者の解釈で正解だと思う(音声ファイルも聴いたがZeichen hinwegよりはZeit hinwegに聴こえた)。


【訳文】

図4は、わたしたちが議論のなかでどのような領域を行き来しているかを明らかにしています


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,36頁(担当:徳安彰)
【原文】

Abbildung 4 verdeutlicht, in welchem Feld wir uns inzwischen bewegen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 33

この1文は脚註で編者の挿入であると断られているが、非常に不適切なので、訳者の責任で同頁に掲げられている図4とともに削除すべきだった(少なくとも訳註をつけるなどの対応をすべき)。ここから数頁にわたる議論はすべて前頁の図3の解説であり、本文の中に図4に対応する議論は出てこないのである。このあたり、編者ベッカーの仕事はいいかげんきわまりない。


【訳文】

つまり政治は意思決定の際に、集合的な拘束力をもつ――とわたしは言いたいのですが――意思決定を行うことができなければなりません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,37頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das heißt, die Politik muss in der Lage sein, Entscheidungen zu treffen, die, wie ich sagen möchte, im Moment der Entscheidung kollektiv binden,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 33-34

先に "collectively binding decision making" というパーソンズの定式化を紹介したうえでの「私は言いたい」なので、その内容はパーソンズが言っていないことでなければならない。邦訳は「集合的な拘束力をもつ」がそれに当たると読めるが、むしろ「意思決定のその瞬間に」というのがここでルーマンが追加しているポイントだろう。「つまり政治は決定が下されたその瞬間に――と私は言いたいのですが――集合的な拘束力をもつ、そういう決定を下すことができなければならない、ということです」とか。


【訳文】

人格が関与して、みずからの名前で、あるいはみずからの責任で行為しようとするにもかかわらず、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,38頁(担当:徳安彰)
【原文】

obwohl Personen beteiligt sind, die lieber im eigenen Namen oder auf eigene Rechnung handeln möchten,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 34

ここは本来利己的な個人がいかにして社会的システムの統合に資する行為へと動機づけられるのかという話なのだが、邦訳のような訳し方ではそれが伝わらない。「自分のために、あるいは自分の利益のために」とか(どうして責任という訳語が出てきたのか不明)。



II 一般システム理論

1 開放システムの理論


【訳文】

「一般システム理論」という言葉、概念は、実態をかなり覆い隠しています


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,46頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das Wort, der Begriff "allgemeine Systemtheorie" überzieht die Sachverhalte beträchtlich.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 41

このüberziehen「誇張する」という意味。「実態からするとかなり言い過ぎのきらいがある」みたいな。


【訳文】

まずこのメタファーないしモデルには、数学の関数を用いて考えようとするかぎりにおいて数学的基礎がありましたが、隠喩法は数学的基礎がなくてもおもしろく、さらにまたシステム思考のもっとも古い源泉の一つでもあります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,47頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das hatte zunächst einmal insofern eine mathematische Grundlage, als man mit mathematischen Funktionen zu arbeiten versuchte, aber die Metaphorik ist auch unabhängig davon interessant und im Übrigen eine der ältesten Quellen des systemischen Denkens


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 42

邦訳は「隠喩法」一般の話をしているように読めるが、もちろんこれは「均衡」のメタファーのこと。「このメタファーは」とかにしないと紛らわしい。


【訳文】

均衡は安定的であり、攪乱に対しては、元の均衡を回復させるか新しい均衡状態に到達するようなかたちで反応するだけだ、と考えられています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,47-48頁(担当:徳安彰)
【原文】

Man stellt sich ein Gleichgewicht als stabil vor, das nur auf Störungen reagiert, und zwar in der Weise reagiert, dass entweder das alte Gleichgewicht wiederhergestellt oder ein neuer Gleichgewichtszustand erreicht wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 42

邦訳はnurのかかる場所がおかしい。これは「攪乱があったときだけ反応する」ということ。


【訳文】

つまり、均衡という考え方はシステムの攪乱に対する敏感さを示すとともに、それを局限する理論として使うことができます。――人は均衡を攪乱したいときに何をすべきか知っている、というのです


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,48頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das heißt, man kann die Idee des Gleichgewichts als eine Theorie betrachten, die die Störempfindlichkeit eines Systems bezeichnet und auch lokalisiert — man weiß, was man tun muss, wenn man das Gleichgewicht stören will.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 43

「使う」は原文にない。「――」の後はかなり変だと思う。私ならちょっと意訳を入れてこんな感じ。「つまり均衡という観念は、システムと攪乱との関係についての一つの理論だとみなせます。均衡を一つ定めるなら、これを攪乱するのに何をすればいいかは自明だからです」。Empfindlichkeitを術語として訳出しないのが心残りだが、訳出したら文章の理解可能性が著しく下がるので。


【訳文】

講義で繰り返し出てくることになる観点から見ると、この理論は特定の区別をもつ理論であって、特に望ましい状態や特定の対象についての理論というわけではありません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,48頁(担当:徳安彰)
【原文】

Unter einem Gesichtspunkt, der in der Vorlesung immer wieder vorkommen wird, ist diese Theorie eine Theorie einer spezifischen Unterscheidung und nicht so sehr die Theorie eines wünschenswerten Zustandes oder einer bestimmten Art von Objekten.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 43

違いを明確にするために「特定の区別についての理論」とすべきところ。


【訳文】

これを数学に投影すると、どのような数式からその関係を読み取ることができるか、という問いに関心が向きます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,48頁(担当:徳安彰)
【原文】

Wenn man das auf die Mathematik projiziert, richtet sich das Interesse auf die Frage, an welchen mathematischen Gleichungen man so ein Verhältnis ablesen kann.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 43

「方程式」。均衡の話なんだから、ただの数式ではだめで「=」が入っていないといけない。


【訳文】

このモデルは世界モデルとしては妥当性があるかもしれませんが、世界のなかのすべての事態に当てはまるわけではありません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,50頁(担当:徳安彰)
【原文】

Dieses Modell mag als Weltmodell seine Gültigkeit haben, ist aber für alle Verhältnisse innerhalb der Welt unzutreffend.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 45

邦訳は全称命題の否定にしているが、これは全称否定命題である。「世界の中のすべての関係について、これは妥当しない」。


【訳文】

エントロピーを説明する基本条件はどちらの場合も同じで、システムと環境の交換関係です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,50頁(担当:徳安彰)
【原文】

Die Grundbedingung, die Entropie erklärt, ist in beiden Fällen dieselbe, nämlich Austauschbeziehungen zwischen System und Umwelt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 45

邦訳は原文通りだが明らかに「ネゲントロピー」の間違い。英訳版も訳註でこの点指摘した上で本文を修正している。音声ファイル未入手のため実際にルーマンがなんと言ったかは未確認。


【訳文】

つまり、変異、構造変化という意味での選択、安定化ないし再安定化というダーウインの区別は、まさしく開放システムの理論にもとづいており、さらに開放システムの一般理論に対して、歴史的次元、すなわちエントロピー法則から出発したときに予期される事態に逆行する、構造的複雑性の発展の次元を説明してくれるのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,51頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das heißt, die darwinsche Unterscheidung von Variation, Selektion im Sinne von Strukturänderung und Stabilisierung oder Restabilisierung beruht ebenfalls auf einer Theorie offener Systeme und erklärt zusätzlich zu der allgemeinen Theorie offener Systeme die historische Dimension oder die Dimension der Entwicklung struktureller Komplexität gegenläufig zu dem, was man erwarten würde, wenn man vom Entropiegesetz ausgeht.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 46

邦訳は "zusätzlich" と "zu der allgemeinen Theorie offener Systeme" を切り離して読んでいるが間違い。これは続けて一つの句である。「開放システムの一般理論に加えて」、つまりそれとは別に、それが説明していなかったことを説明した、という文意。


【訳文】

こうした開放システムの一般理論を前提にすると、二次的な理論、補助的な理論、とりわけ入力‐出力モデルの考え方がそれに付け加わります


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,51頁(担当:徳安彰)
【原文】

Wenn wir diese allgemeine Theorie offener Systeme voraussetzen, ordnen sich dem zweitrangige Theorien, subsidiäre Theorien und vor allem ein Konzept des Input-Output-Modells zu.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 46-47

zuordnenに「付け加わる」という意味はない。sich zuordnenで「主語1格が3格に分類される」。原文では「二次的な理論、補助的な理論」は3格、「入力‐出力モデルの考え方」が1格なので、「二次的な理論、補助的な理論として、入力出力モデルが登場してきます」みたいな感じでちゃんと意味が通る。問題は "und vor allem" だが、undが不要なんじゃないかと思う(これも音声ファイルを確認したいところ)。なお英訳は邦訳と同様の解釈(だがやはり文法的には間違いだろう)。


【訳文】

わたしたちは、一方でシステム‐環境の区別と、他方でシステム‐システム関係の違いについて語っているのです。入力‐出力モデルはこの最後の違いに関係しています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,52頁(担当:徳安彰)
【原文】

Allgemeiner gesagt, sprechen wir von einem Unterschied zwischen der System-Umwelt-Unterscheidung einerseits und System-zu-System-Beziehungen andererseits. Das InputOutput-Modell hat es nun mit diesem letztgenannten Fall zu tun.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 47

なんか複雑な形で変な気がする。まず "diesem letztgenannten Fall" を邦訳はシステム‐環境区別とシステム‐システム関係の「違い」そのものと解しているが、原文のこの書き方は「後者」つまり「システム‐システム関係」だけを指しているんじゃないかなあ。他方、そうだとしても問題があって、この後で論じられているのは「システム‐システム関係」の話ではなく、どうみてもより一般的な「システム‐環境」の関係の話なのである。というわけで、「入力‐出力モデルは前者[=システム‐環境]の区別と関係する」でないとここはいけないと思う。これについても音声ファイルで確認したい。


【訳文】

この変換関数は構造的にきちんと記述されます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,52頁(担当:徳安彰)
【原文】

Diese Transformationsfunktion ist strukturell festgeschrieben.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 47

「きちんと記述」では意味がわからない。「構造的に定められる」で。


【訳文】

法システムは、それが実際にそれほどうまく働いているのであれば、まさに入力‐出力分析の理想的なケースであり、機械の理想的なケースだということになるでしょう。その機械は外部から見て計算可能なように働きますが、とてつもなく込み入っています。なぜなら非常に多くの法規定があり、それとともに非常に多くの多様な入り口、提起することのできる非常に多くの多様で可能な入力、判決を求めることのできる非常に多くの多様で可能な訴えのタイプ、機械のように貫徹する見通しが立つならいつも実現することのできる非常に多くの多様で可能な権利があるからです


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,55頁(担当:徳安彰)
【原文】

Das Rechtssystem wäre, wenn es praktisch so funktionieren würde, geradezu ein Idealfall für Input-Output-Analysen und damit für eine Maschine, die von außen her gesehen berechenbar funktioniert, die allerdings enorm kompliziert ist, weil es sehr viele Rechtsvorschriften gibt und damit sehr viele verschiedene Eingangstüren, sehr viele verschiedene mögliche Inputs, die man vortragen kann, sehr verschiedene mögliche Klagetypen, mit denen man Recht suchen kann, sehr viele verschiedene mögliche Berechtigungen, die man realisieren kann, die aber immer dann, wenn eine solche Aussicht besteht, dies auch maschinenartig durchsetzt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 51

邦訳はこの箇所を「法は入出力モデルにぴったりだけどすごく複雑だよ」という流れで捉えているが間違い。ここは、「法は、たしかにすごく複雑だけど、やっぱり入出力モデルにぴったりだよ」という文意である。この点を間違えたために、最後の赤字部分で文法的にも誤訳している(つまり関係詞dieの先行詞をBerechtigungenと読んでいるが、このdieは複数ではなく女性単数なので明らかに間違い)。この主語dieはMaschineである(allerdingsとaberが呼応しているのに注意)。英訳版も同様の間違いをしている。

正しくは、「法システムは、実際そのとおりに機能しているならば、まさに入力‐出力モデルの理想事例だと言えるでしょう。つまり、外から見て計算可能な形で機能する機械の理想事例です。もちろんこの機械は非常に複雑です。法規定というのは非常に数が多く、それゆえ非常に多種多様な入口があり、入力の可能性も多種多様だからです。可能な訴えの類型も、実現されるべき権利も非常に多種多様ですからね。しかしどんなに複雑であっても、そういう見通しが立つ限りで、この機械はあくまで機械的に処理していくのです」みたいな。


【訳文】

みなさんはサーモスタットの例をご存知でしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,57頁(担当:徳安彰)
【原文】

Sie kennen das vom Beispiel des Thermostats;


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 53

「これ[=フィードバック]についてはサーモスタットの例でご存じでしょう」。訳文としては「サーモスタットの例が有名ですよね」みたいな。


【訳文】

かつて飛行機を高射砲で撃つときには、リングという機械的な装置を使わなければならず、そのリングを通して見て、どのように標的を狙うべきかに応じて、リングによって砲の方向を決めなければなりませんでした。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,57頁(担当:徳安彰)
【原文】

Während man es früher, wenn man auf Flugzeuge mit Flakgeschützen schießen sollte, mit einer mechanischen Vorrichtung zu tun hatte, mit einem Ring, durch den man hindurchschauen und an dem man die Geschütze orientieren musste, je nachdem, wie man vorhalten musste und so weiter,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 53

邦訳は「リング」を固有名詞のように扱っているが、これは不定冠詞がついていることからもわかるように、装置がリング状であることを示しているだけ(ルーマンが言っているのは「測距儀」のこと?)。またここのvorhaltenは「前方を狙う」という意味(相手は飛行機だから射撃の瞬間に目標がいる位置よりも前方を狙わないと当たらない)。「どのくらい前方を狙えばいいか」ということ。


【訳文】

この観念はすでに今そこにあるのだから、機械的に決定された運動を引き起こすことができる


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,58頁(担当:徳安彰)
【原文】

dass diese Vorstellungen, weil sie jetzt schon da sind, mechanisch bestimmte motorische Aktivitäten auslösen können.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 53

これは「一定の作動を機械的に引き起こす」だろう。


【訳文】

このようなテレオロジー的因果性を機械化する記述法のなかで、サイパネティクスは、一定のシステム状態を安定的に保ちたい場合に、それがいかにして可能か、あるいはいかなる装置が前提となるかを、かつてよりも正確に説明できるようになったと言うこともできます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,58頁(担当:徳安彰)
【原文】

Im Duktus dieser, wenn man so will, Mechanisierung von teleologischen Kausalitäten konnte nun die Kybernetik etwas genauer als vorher erklären, wie es möglich ist oder welche Apparaturen vorausgesetzt sind, wenn man bestimmte Systemzustände stabil halten will.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 53-54

"wenn man so will" は文全体ではなく、「目的論的因果性の機械化」にのみかかっている。「いわば」とか。


【訳文】

[訳抜け]


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,58頁(担当:徳安彰)
【原文】

Schließlich, das war der Grund für die Namengebung, kamen Steuerungsvorstellungen hinzu.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 54

「最後に、これは[サイバネティクスという語の]語源とも関わるのですが、制御という点もここに加わります。」


【訳文】

キュベルネーテス(κυβερν-τη-)とは船の操舵手のこと


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,58頁(担当:徳安彰)
【原文】

Cybernetes ist der Steuermann eines Schiffes


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 54

邦訳記載のギリシア語は文字化けしている。正しくは「κυβερνήτης 」。


【訳文】

いつまで福祉国家の政治プログラムにおける一定の課題を増大させることができるか


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,60頁(担当:徳安彰)
【原文】

wie lange man bestimmte Ausgaben im wohlfahrtsstaatliehen Politikprogramm steigern


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 56

邦訳はAusgabenをAufgabenに見間違え。「支出」。


【訳文】

どこまでより多くの人びとが学習できるのか


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,60頁(担当:徳安彰)
【原文】

Wie lange können immer mehr Leute studieren


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 56

これはただの学習ではなく「大学で勉強する」ということ。「大学生になれるのは何人までか」ということ。


【訳文】

問題となるのは、システムがブレーキ・メカニズムを使うことができるのか、あるいはいったん導入されたポジティブ・フィードバック、いったん導入された逸脱強化の傾向を妨げる、カタストロフィー的発展しかありえないのか、ということです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,60頁(担当:徳安彰)
【原文】

Die Frage ist, ob ein System über Bremsmechanismen verfügt oder ob es nur katastrophenartige Entwicklungen geben kann, die ein einmal eingeführtes positives Feedback, eine einmal eingeführte Tendenz zur Abweichungsverstärkung blockieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 56

邦訳のように訳したのでは意味が通らない。これは、「……を妨げるのは、カタストロフィー的展開だけなのか」とすべきところ。つまり、「全部壊滅しないと止まらないのか」ということ。


【訳文】

あるシステム状態から出発してその引力が強化され、ほとんど不可欠のものになること


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,61頁(担当:徳安彰)
【原文】

dass man im Ausgang von einem bestimmten Systemzustand diesen verstärkt, quasi unentbehrlich macht,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 57

「引力(Anziehungskraf)」は女性名詞であって、男性4格のdiesenでは受けられないし、この訳では意味も通らない(アトラクターの定義の中に引力が出てきたら循環してしまって説明にならない)。このdiesenは直前のSystemzustandである。ここは「[たまたま]出発点となった状態が強化され」ということ。


【訳文】

とりわけ、社会学として期待されるものをもたらすことはありませんでした。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,62頁(担当:徳安彰)
【原文】

Er hat vor allem nicht erbracht, was man als Soziologe erwarten würde:


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 58

邦訳はSoziologeをSoziologieに見間違えたうえで受動態と読んでいるがもちろん間違い(erwartenが過去分詞になっていない)。これは接続法を用いた仮想である。正しくは「社会学者なら期待するであろうもの」。


【訳文】

そのように働くことのできるシステムとは何か、その基礎には何があるのか、といった問いに対する答えはありませんでした。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,62頁(担当:徳安彰)
【原文】

aber es gab keine Antwort auf die Frage: Was ist ein System, sodass es leisten kann, was es leistet? Was liegt dem zugrunde?


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 58

ここは文脈上、「何がそのように働くことのできるシステムなのか」と訳さなければ間違い。実際邦訳も数行前にはそう訳している。


【訳文】

当時、科学者や科学は認知能力をもつ外部観察者として、たとえばシステムの外部にある主体ないし科学的な研究連合体として考えられていたように思われます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,64頁(担当:徳安彰)
【原文】

Mir scheint, dass man damals den Wissenschaftler oder die Wissenschaft als einen externen Beobachter unterstellt hat, der kognitive Kapazität hat, etwa als Subjekt oder als wissenschaftlicher Forschungszusammenhang außerhalb der Systeme, die er betrachtet.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 60

ここは、科学(者)がどう見られていたかが話題なのではなく、誰が観察者として想定されていたかが話題なのだが、邦訳のような訳し方ではそれが伝わらない(特に助詞を「は」にするのがよくない)。あと最後の部分が訳抜け。正しくは、「私の見た感じだと、当時は科学者ないし科学が、認知能力を有する外部観察者として想定されていたと思います。つまり観察対象であるシステムの外部にある主体ないし科学的研究連関として、ということです」。


【訳文】

分析的な理論に対しては、分析者がシステム概念のもとでいかなる諸単位をまとめるかは、分析者からまったく自由ではありえない、と反論することができます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,65頁(担当:徳安彰)
【原文】

Gegen die analytische Theorie kann man einwenden, dass es dem Analytiker nicht schlechthin freistehen kann, welche Einheiten er unter dem Systembegriff zusammenfasst.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 61

邦訳は意味を正反対に取り違えており、そもそも分析的理論に対する反論になっていない。正しくは「完全に分析者の恣意に委ねることはできない」くらい。


【訳文】

[訳抜け]


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,66頁(担当:徳安彰)
【原文】

Man muss versuchen, mit der Realität in Kontakt zu kommen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 61

「現実との接触を試みることが必要になります」とか。


【訳文】

もう一人、あるとき研究を共にしたウンベルト・マトゥラーナでした


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,69頁(担当:徳安彰)
【原文】

Ein weiterer gelegentlicher Mitarbeiter ist Humberto Maturana gewesen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 64

邦訳は日本語になっていない。「ウンベルト・マトゥラーナも、一時期共同研究者として名を連ねていました」とかかな。


【訳文】

システム理論がみずからの歴史的状況と現状にある程度反応しはじめたこと


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,69頁(担当:徳安彰)
【原文】

dass die Systemtheorie gewissermaßen auf ihre historische Lage und damit auf das, was man unter dieser Bezeichnung vorfindet, zu reagieren beginnt


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 65

「歴史的状況」と「現状」では同じ意味ではないか。原文は「この名[=システム理論]で呼ばれるもの」だから、もし簡単に一言でいうなら「自己」だろう。



2 差異としてのシステム(形式分析)


【訳文】

今回は、わたしの考えでは今期の講義のなかでもっとも難しく、もっとも抽象的な部分から話を始めることにしましょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,70頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ich beginne mit dem nach meiner Einschätzung wichtigsten und abstraktesten Teil der Vorlesung,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 66

「もっとも重要」。


【訳文】

開放システムはシステムと環境の関係に自分から関わっていくということ


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,70頁(担当:毛利康俊)
【原文】

dass das offene System selbst auf Beziehungen zwischen System und Umwelt beruht


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 66

どこから「自分から関わっていく」が出てきたのか不明。正しくは、「開放システムそれ自体が、システムと環境の関係に依拠するものであること」。


【訳文】

システムと環境の差異は双方の構造が同時に変わってしまうという状況の下でいかにして維持されうるのか、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,71頁(担当:毛利康俊)
【原文】

wie die Differenz zwischen System und Umwelt erhalten bleiben könne, unter Umständen bei gleichzeitigem Auswechseln von Strukturen


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 66

まず "unter Umständen" は「場合によっては」の意の副詞句であって、後ろのbeiとつなげて「という状況の下で」という読み方はできない。次に邦訳は「同時に」を「システムと環境の双方で同時に」の意にとっているが無根拠。ここは、この直前にある「不可欠な構造=本質」によってシステムを定義する議論との対比で、構造が他のものに変わってしまっても(「同時に」はこの意味)、システム/環境の差異が維持されるなんてことがいかにして可能か、という話になっているのである。よって正しくは、「場合によっては構造が別のものになってしまう場合ですら、システムと環境の差異がいかにして維持されうるのか」。


【訳文】

そうなるとあるシステムが同一性を保つために必要なのは、もう連続性でしかないのですが、しかしその連続するものとは最小限の諸要素、構造レベルにある本質的な諸要素ではありません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,71頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Für die Identität eines Systems ist dann nur noch Kontinuität, sind jedoch nicht Mindestelemente, wesentliche Elemente auf der strukturellen Ebene, erforderlich.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 66

必要なのは「連続性」であって、「構造水準での最小要素・本質要素ではない」ということ。


【訳文】

あれ以上できることというのは、わたしの考えでは、ラディカルな形式化の可能性です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,71頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Was hinzukommt, ist meines Erachtens die Möglichkeit einer radikaleren Formulierung.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 66

「よりラディカルな定式化」。形式化はFormalisierungである。


【訳文】

この差異は、指示対象の問題、つまりわたしたちが何について話をしようとしているかという問題から切り離されています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,73頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Diese Differenz ist abgekoppelt von dem Problem der Referenz, das heißt von dem, worüber man sprechen will.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 68

邦訳の言い方では「話題」のことかと思ってしまう。それに後者には「問題」はかかっていない。「それについて話そうとしているところのものからは」などとすべき。


【訳文】

言語が念頭においているモノとしての指示対象は、言語なしには認識することができず、使うことができず、言語理論のなかで軽んじることができないということが、まずまずはっきり理解されるようになりました。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,73頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Man hat immer deutlicher gesehen, dass man das Bezeichnete als das, was die Sprache meint, nicht kennen, ohne Sprache nicht verfügbar machen und in der Sprachtheorie nicht vernachlässigen kann.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 68

まず「言語なしには」はkennenにはかかっていない。そして "nicht vernachlässigen kann" のnichtは、ルーマンの言い間違えか、文字起こしの際のミスだろう。いずれにしても邦訳のようにnichtを入れて訳すと意味が通らない(ここは構造主義の話なのだ)。英訳は無断でこのnichtを落として訳している。というわけで正しくは「言語の指示対象は不可知であり、言語なしには利用することができず、言語理論では無視してしまってかまわないことがはっきりしてきたのです」みたいな。


【訳文】

しかしその場合は、自分自身を一つの絵を描いて、何か似たものをもう一度作りたいという気にさせるほどその絵が美しいと発見した他者としてもっているのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,73頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Aber dann hat man sich selbst als jemand anderen, der ein Bild gemalt hat und das so schön gefunden hat, dass er etwas Ähnliches noch einmal machen will.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 69

自己模倣の場合、模倣される自己と模倣する自己の差異が前提になるみたいな話。邦訳は原文ママだが、これでは意味が通らない(描いた人と真似したい人が同一になってしまっている)ので、文字起こしの際のミスか、ルーマンの言い間違いだろう。正しくは、「絵を描いた自分を他人と見て、その絵の美しさに感動して自分も描いてみたいと思うわけです」みたいな感じでなければならない。英訳版は断らずにそんな感じで訳している。


【訳文】

つまり、差異から始めて、差異から生じる問題を社会秩序の説明の問題にする、そういう伝統があるのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,74頁(担当:毛利康俊)
【原文】

dass es eine Tradition gibt, in der man mit Differenz anfängt und das Problem, was aus der Differenz wird, zum Problem der Erklärung sozialer Ordnung macht.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 69

wasをdasに見間違え? 正しくは、「差異から何が生じるかという問題」。


【訳文】

というのは、図書館の司書の方たちが、スペンサーというのがすでに名字の一部なので、スペンサ=ブラウンはスペンサーを名字の一部とする多くのブラウンさんのなかにファイルされる、ということをご存知ないことも多いからです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,75頁(担当:毛利康俊)
【原文】

weil die Bibliothekare oft nicht wissen, dass Spencer schon zum Nachnamen gehört und Spencer Brown deswegen unter den vielen Browns mit Vornamen Spencer ablegen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 70

邦訳が意味不明なのは、一つには nicht wissen の範囲を間違えている(原文にコンマが一つ欠けているのも悪いがそのくらい気づいてしかるべき)のと、Vornameを「名字」と誤訳しているから。正しくは、「スペンサーが名字の一部であることを司書が知らなくて、ファーストネームが『スペンサー』なブラウンさんだと思って分類してしまうことがしばしばあるから」。


【訳文】

この本にはたくさんの注、前注、後注があり、それらはほぼ普通の英語で書かれており、読むことができます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,76頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Es gibt viele Anmerkungen, Vorbemerkungen und Nachbemerkungen in diesem Buch, die in einem fast normalen Englisch geschrieben und zu lesen sind.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 71

『形式の法則』の話だが、ここで言っているのはいわゆる「注」(=脚注)のことではなく、数式が並ぶ本文以外の、序論とか補論とか普通の文章の部分のことである。本文の「注」は決して多くないし、「前注」とか「後注」なる意味不明なものも『形式の法則』には含まれていない。


【訳文】

計算をさらに継続してみてはじめて、端緒なるものが想像したほど単純ではないことがはっきりします。――端緒なるものが疑わしくもあるものをすでに考えることができたならば


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,77頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Erst im weiteren Verlaufe des Kalküls kann sich herausstellen, dass es gar nicht so einfach war, wie der Anfang es sich gedacht hatte — wenn er schon denken konnte, was auch infrage steht.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 72

邦訳が意味不明なのは、まず「単純でない」の主語esが脱落し、denkenに「想像する」と「考える」という別の訳語を与えており、それから最後のwasの読み方が完全に間違い(これは前の節の内容そのものを受けているのである)だから。正しくは、「計算が進んでから初めてわかることですが、これは端緒が考えたほど簡単なことではありません――まあこれは端緒に考えることができればの話で、それ自体が疑問ですけどね」みたいな。何がそんなに簡単ではないかというと、前段落の内容すなわち「二つの部分をもつ記号を一つのもの(Einheit)として受け容れること」である。


【訳文】

したがって創造は、神自身はあらゆる区別のかなたにおわすとしても、何らかの区別の承認(Oktroi)なのです


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,78頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Die Schöpfung ist also das Oktroi eines Unterscheidens, wenn Gott selbst jenseits aller Unterscheidungen ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 73

Oktroiは「承認」ではなく「押し付け」。wenn節は文脈上次のように訳すべき。「したがって天地創造は一つの区別の押し付けなのですが、神自身はあらゆる区別の彼岸におわすのです」。


【訳文】

わたし自身はその計算をこのように理解していますが、区別がいわば当の区別からもってこられるということ、そして最後に、当の区別がいつもすでにその区別のなかにあったことが明示されるということ、この点についてはわたしは自信がありません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,79頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ich selbst verstehe den Kalkül so, aber da bin ich nicht sicher, dass die Unterscheidung sozusagen aus der Unterscheidung herausgezogen wird und dass am Ende explizit wird, dass die Unterscheidung in der Unterscheidung immer schon vorhanden war.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 74

邦訳は理解の内容(so)がdass以下であることが読めていないために変なことになっている。文脈としては、端緒の区別がすでに一つの(区別と指示の)区別を前提にしていることについての解釈に定説はないとしたうえでこの文が続く。正しくは、「私自身の理解としては――絶対の自信があるわけではないのですが――区別から区別が引き出され、最終的には区別の中につねにすでに区別が含まれていたことが明示される、ということだと解釈しています」くらい。


【訳文】

それは統一体として作動させられますが、その作動ははじまりの瞬間にはまだ分析されえません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,79頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Es wird eine Einheit in Operation gesetzt, die im Moment des Beginns noch nicht analysiert werden kann.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 74

これは明らかに「作動」ではなく「統一体」(Einheit)。一つの区別を区別/指示(という二つのもの)に分析(分解)するという話。


【訳文】

わたしはその計算を技術的には決して現実に検証できません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,80頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ich habe ihn technisch nie wirklich durchgeprüft.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 75

「できない」までは言ってない。スペンサー=ブラウンの数式展開の部分は一度もちゃんと追ったことがないというだけのこと。衝撃の告白w(みんな知ってたけど)。


【訳文】

専門家たちに聞くと、その計算は[訳抜け]もともとの数学よりもずっとエレガントだが、そのさい何かが失われている、とのことです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,80頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Von Experten hört man, er sei in Ordnung, er sei sehr viel eleganter als die ursprüngliche Mathematik, aber es gehe auch etwas dabei verloren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 75

「ちゃんとしてるし」が抜け。


【訳文】

彼はこの境界線をそれがマークされたときには「形式」としても特徴づけています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,80頁(担当:毛利康俊)
【原文】

der diese Grenzlinie, wenn sie markiert wird, auch als "form" bezeichnet,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 75

「特徴づける」なんて意味不明な訳語は撲滅すべき。「「形式」とも呼んでいます」。以下ではこの指摘は省略。本文にこの語が出てきたら大抵「呼ぶ」の意味。


【訳文】

この分析手法を使って記号論を「透写する(nachzeichen)――後を追いかけつつnach記号をつけていくことzeichen)」こともできるでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,80-81頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Man könnte auch die Semiologie oder Semiotik mit diesem Instrumentarium "nachzeichnen"


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 75

邦訳はなにやら難しげなことを書いているが、これはnachzeichnenをnachzeichenと誤記したことによるものだろう。nachzeichnenは「描き直す」という意味の普通の単語であり、「」がついているのはメアリー・ヘスの「再記述(redescription)」にかけているのだろうと思う。


【訳文】

記号はより厳密に定式化すると、指示するものと指示されるものの差異です。これはドイツ語ではすこし定式化しにくいですね


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,81頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das Zeichen ist, genauer formuliert, die Differenz zwischen Bezeichnendem und Bezeichnetem, im Deutschen etwas schwerfällig zu formulieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 76

ドイツ語の語呂の悪さを言っているのだから、ドイツ語でなんて言うか書かないと意味がわからない。せめてBezeichnendeとBezeichneteを()書きで。


【訳文】

シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifié)は、ソシュールが使用しているフランス語でしょう


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,81頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Signifiant und signifié wären die französischen Ausdrücke, die Saussure verwendet.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 76

「でしょう」とは……。ここは接続法になっていることからもわかるとおり、フランス語で言うならこれですね、ということ。「ソシュールが使っているフランス語だと、シニフィアンとシニフィエですね」みたいな。


【訳文】

固有の諸過程のなかで制御されている統一体


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,82頁(担当:毛利康俊)
【原文】

eine sich strukturell in den eigenen Prozessen steuernde Einheit


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 77

「構造的に」が抜けているのとsich steuerndeを単に受動態で訳すのはここでは不適。「自らの過程において構造的に自己制御する単位」とか。


【訳文】

作動から見ると、強い意味での生命の統一性が保証されます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,83頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Von der Operation her gesehen, ist die Einheit von Leben in einem strengen Sinne garantiert.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 78

strengenをstarkenに見間違えたか、英語のstrongに似ているから間違えたか。「厳密な意味で」。


【訳文】

二性‐性、中枢神経システムそのほかは、この作動様式を前提にしています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,83頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Zusatzerfindungen wie Bisexualität (Zweigeschlechtlichkeit), das Zentralnervensystem und anderes setzen diese Operationsweise voraus.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 78

訳抜けあり。あと「二性‐性」という訳語がわかりにくい。「性別、中枢神経系その他の追加的な発明」でいいだろう。


【訳文】

この講義が長くなりすぎているのならば、後の時間で行為理論について何ほどか述べることにします。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,85頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Falls wir in dieser Vorlesung so weit kommen, will ich zu einem späteren Zeitpunkt etwas über die Handlungstheorie sagen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 79

falls節は「後の時点で」の具体的な内容である。つまり、この講義がその話題を出してもいいくらい十分に進んだら、ということ。そもそもこの箇所、45分程度の講義時間のまだ半分あたりであり、「長くなりすぎている」なんてことはありえない。


【訳文】

誰かが何かをある人に言い、歯ブラシが誰かから手渡された、ということもあるでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,85頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Jemand hat es einem gesagt, und die Zahnbürste ist von jemandem dahin gestellt worden,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 79

邦訳の特に前半はシュールなほどに意味不明。正しくは、前文をうけて「誰かに歯を磨けと言われ、誰かが歯ブラシをそこに置いた」である。


【訳文】

そしてその指示をするものはその指示のなかにいて、そのなかでそれ以降のことをなすことになっています


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,86頁(担当:毛利康俊)
【原文】

dem Hinweis, wo man sich befindet, wo man weitermachen soll.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 80

邦訳はwoを関係詞と読んで意味わからなくなって雰囲気訳にしたのだろう。しかし、これは「指示」(区別された一方の側の指示)の内容を明示しているだけである。正しくは、「今どこにいて、これからどこで続けていけばよいかの指示」。


【訳文】

この理論的形姿は計算から引き出されたものであり、したがってもはや算術や代数の形式では扱うことができません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,86頁(担当:毛利康俊)
【原文】

eine theoretische Figur (...), die sich dem Kalkül entzieht, die also nicht mehr in der Form von Arithmetik oder Algebra behandelt werden kann,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 80

いやいや計算から出てきたものなら算術や代数の形式で扱えるだろう。正しくは「算法を免れるもの[算法にとって外在的なもの]であり」くらい。


【訳文】

しかしながら社会システムの理論に向かうやいなや、そう、コミュニケーションについてのコミュニケーションでもありうるというコミュニケーションの通常の装置を前提できるようになるやいなや、問題から困難は消えてしまい、むしろ納得しやすいものになるでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,86頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Sobald wir jedoch auf die Theorie sozialer Systeme kommen und den normalen Apparat der Kommunikation, die ja auch Kommunikation über Kommunikation sein kann, voraussetzen können, verliert das Problem seine Schwierigkeit und wird sogar überzeugend,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 80

「コミュニケーションについてのコミュニケーション」が「コミュニケーションの通常の装置」なわけないだろう。それに「という」はなに伝聞? そもそもApparatは男性名詞であってdieで受けられるわけがない。これはKommunikationである。正しくは「コミュニケーション――もちろんコミュニケーションについてのコミュニケーションも含む――の通常の装置を前提できる」くらい。


【訳文】

とすると、わたしたちはわたしたちがすでにずっと前から知っていたことをいろいろ研究して手に入れるのです。だとすると理論的努力の全体はいったい何の役に立つのか、と問われることになります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,86頁(担当:毛利康俊)
【原文】

sodass man sich fragt, wozu der ganze Aufwand an Theorie dient, wenn wir etwas erarbeiten, was wir schon längst gewusst haben.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 80

邦訳は意味不明(二文に分けるからだ)。ここは、「再参入」の概念は社会的システムの場合にはごく当たり前のことを述べているため直観的に理解しやすいという趣旨の議論を承けて、「そのため、その程度のことはとっくの昔からわかっているのであって、何のためにわざわざこんな理論が必要なんだという疑問が湧いてくることになります」ということ。


【訳文】

作動そのものが差異を生み出します


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,87頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Die Operation als Operation erzeugt die Differenz,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 80-81

これは主語と目的語が逆である。これ原文は、目的語・動詞・主語の順番で並んでいるのである。つまり正しくは「差異が作動を作動として生み出す」あるいは「作動を作動として生み出すのは差異である」。この段落の後の部分はずっと、作動の産出(=先行作動への後続作動の接続)にシステム/環境の差異が前提となるということを説明しているのである。


【訳文】

その外では同時にほかのことが生じていたりいなかったりします


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,87頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Draußen geschieht gleichzeitig etwas anderes oder nichts.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 81

「その時その外では、他のことが生じているか、何も生じていないかです」。


【訳文】

世界とはコミュニケーションの帰結にとって限定的にのみ意味をもつものなのです


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,87頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Es ist eine Welt, die nur begrenzt für die Folgen von Kommunikation Bedeutung hat.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 81

これは「世界」のことを言っているのではなく、前文を承けて「システムの外(=環境)」のことを言っているのである。正しくは「それ(システムの外)は、コミュニケーションの結果にとってしか意味がない世界なのです」。


【訳文】

問題構成は、それらの概念が循環的であり、この種の構想ではいつもそうなのですが、わたしが後になって初めて説明するものをいつも前提にしなくてはならないことにあります


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,87頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Die Problematik liegt darin, dass die Begriffe zirkulär sind und ich immer etwas voraussetzen muss, was ich erst später erläutere. Das ist bei jedem Design dieser Art der Fall.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 81

邦訳は文脈が把握できていないために苦心して意味不明な訳文にしている。ここは、まだ説明してない「観察者」という概念をいきなる使うことについて弁明しているのである。つまり「問題は概念どうしが循環していることでして、そのためいつも、まだ解説していない概念を前提して話を進めざるをえないのです。この種の理論設計だと必ずこうなってしまいます」みたいな。


【訳文】

もともと考えていたことの説明について言い訳をあれこれ探したり


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,88頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ausflüchte über Erläuterungen dessen, was man eigentlich gemeint hat, suchen


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 81

「説明についての言い訳」というのが意味不明。このüberは「について」ではなく「を通じて」である。正しくは「真意を説明することで弁明を試みたり」くらい。


【訳文】

そして、コミュニケーションはこの二つの部分の一方の側面でより多くのことをなしたり他方の側面でより多くのことをなしたりできます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,88頁(担当:毛利康俊)
【原文】

und die Kommunikation kann entweder mehr auf der einen oder mehr auf der anderen Seite weitermachen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 82

このmehrが数の多寡の話ではないのは明らか。「どちらか一方の側にもとづいて継続する」とか。


【訳文】

このことがまた、「再参入」の一般的テーマの説明になっています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,88頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Dies ist wiederum eine Erläuterung des allgemeinen Themas des "reentry":


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 82

「「再参入」という一般的テーマ」。


【訳文】

一定の期間は見直しと変更を留保してどちらの言及方向に重点をおくかを選択することによって、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,89頁(担当:毛利康俊)
【原文】

indem es Schwerpunkte in der einen oder anderen Richtung mit Revisionsvorbehalt, mit Änderungsvorbehalt für eine gewisse Zeit wählt


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 83

"für eine gewisse Zeit" はそこではなく「選択する」にかかるのである。正しくは「修正と変更の可能性を留保したうえで、片方を一時的に選択することで」くらい。


【訳文】

わたしがどのように考えているかを、わたしがどのように考えているかを、わたしが、どのように考えているかを、わたしが考える


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,91頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ich denke, was ich denke, was ich denke, was ich denke


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 84

これ邦訳はなんとなく意味が通るように訳しているけど、原文そのままではなく、かつ原文は文法的に意味が通らない気がする。 "Ich denke, dass ich denke, dass ich denke, was ich denke" の文字起こしミスではないかという可能性だけとりあえず記しておく(その場合、「私は自分が考えていることについて考えていると考えていると考えている」)。音声ファイルが聞ければいいのだが。


【訳文】

本来的に作動的な形式はどこにあるのか


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

worin die eigentümliche operative Form besteht


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

邦訳はまずeigentümlichをeigentlichに見間違え。そしてworin ... bestehenは「どこにあるのか」ではなく「何において存するのか」つまり「何か」である。正しくは、「[意識に]固有の作動形式は何か」。


【訳文】

フッサールの場合には、作動的な形式は問題が瞬間から瞬間へ解決されていくときの志向性にあります


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Bei Husserl besteht die operative Form in der Intentionalität, mit der das Problem von Moment zu Moment gelöst wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

邦訳には志向性によって問題が解決されるというニュアンスが欠如。正しくは、「フッサールの場合、この[固有の]作動形式は、瞬間ごとに問題を解決する志向性です」あるいは「フッサールの場合、この[固有の]作動形式は志向性で、これによって瞬間ごとに問題が解決されます」。


【訳文】

予持(Protention)、つまり、つぎの第二、第三の意識過程に現れるものへのあらかじめの一瞥


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Protention, also mit einem Vorausblick auf das, was in den nächsten zwei, drei Bewusstseinsvorgängen ansteht


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

序数詞ではない。「二、三の」。


【訳文】

そしてこれが自己言及と他者言及の区別に斜めから関わります


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

dies quer zur Unterscheidung zwischen Selbstreferenz und Fremdreferenz.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

そんな日本語はない。自他の区別の軸と時間(過去把持/予持)の軸が「クロスする」ということ。


【訳文】

今日、社会現象学というタイトルのもとで推し進められている諸理論がどれほど単純であったか


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

wie flach im Verhältnis dazu Theorien geworden sind, die heute unter dem Titel der Sozialphänomenologie betrieben werden


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

現在なのに過去形(「であった」)では変。「どれほど単純[皮相、浅薄]なものになってしまったか」くらい。


【訳文】

今日、社会現象学というタイトルのもとで推し進められている諸理論がどれほど単純であったか


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

wie flach im Verhältnis dazu Theorien geworden sind, die heute unter dem Titel der Sozialphänomenologie betrieben werden


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

現在なのに過去形(「であった」)では変。「どれほど単純[皮相、浅薄]なものになってしまったか」くらい。


【訳文】

経験としては、ある意味で、「そこにあった」ということだけが提供されます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Als Empirie wird gewissermaßen nur noch das Dagewesensein angeboten.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

この段落を通じてだが、邦訳からはいかにルーマンが社会現象学を馬鹿にしているか(フッサール現象学からいかに堕落したか)が伝わってこない。これは「[社会現象学で]経験として提供されるものって、結局「そこにあった」ってことだけなんですよ」的な文である。


【訳文】

「これらが現象です。わたしたちがそれらを意識したので、それらはきっとどこかにあったはずです。現象の記述の厳密さが、現象についてのありうる疑いから方法論的にわたしたちを守ってくれます。そう、ほかの人たちも何とかやれるでしょう


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

"Das sind Phänomene, und da wir sie bewusst haben, muss es sie ja wohl irgendwo geben; die Genauigkeit der Beschreibung der Phänomene sichert uns methodisch gegen die mögliche Bezweifelung der Phänomene ab, andere können ja auch hingehen."


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 85

現象学が「客体に対する記述的態度」を正当化するだけの代物に堕してしまったことを馬鹿にしながら嘆く文脈であるが、邦訳からはその感じが伝わらない。特に最後の部分は意味不明である。正しくは「ほらこれが現象です。これを我々が意識できたってことは、それがどこかにあったってことです。この現象を正確に記述しさえすれば、この現象に対する疑念の可能性については心配する必要がありません。嘘だと思うなら自分で見てくればいいんですからね」みたいな。


【訳文】

現象学の理論的根本諸決定の基礎にどのようなものがあるのか


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,92頁(担当:毛利康俊)
【原文】

welche theoretischen Grundentscheidungen einer Phänomenologie zugrunde liegen


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 86

邦訳は "einer Phänomenologie" を2格と読んでいるがこれは3格である。正しくは「現象学がいかなる理論的基礎決定にもとづいているか」。


【訳文】

区別は一方の側を区別するためにただたんになされなくてはならないし現になされるので、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,94頁(担当:毛利康俊)
【原文】

die Unterscheidung nur getroffen werden muss und nur getroffen wird, um eine Seite zu unterscheiden,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 87

まず邦訳の「ただたんに」は日本語になっていない。ここのnurはumと呼応しているのであって、「~するためだけに」ということ。次に、原文のunterscheidenは明らかにbezeichnenの間違いである。これはおそらくルーマンがそう言い間違えたのだろうが、そのくらい直せと言いたい(編者に)。その点も含めて正しくは「一方の側を指示するというそれだけのために、区別がなされなくてはならず、実際なされる」。


【訳文】

さまざまな同一性とさまざまなパースペクティヴを引き合いに出す


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,95頁(担当:毛利康俊)
【原文】

auf unterschiedliche Identitäten und auf unterschiedliche Perspektiven beziehen


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 88

直後に書いてあるように、数としては二つなのだから、「二つ」と明示するか「異なる同一性と異なるパースペクティヴ」みたいにしないと非常にミスリーディング。


【訳文】

あるいはこの解消戦略によってどのような現象が可視的になるのか、内的観察者と外的観察者を区別するとき理論構成は何を遂行するのかを示すことにより実りあるものにすることによってパラドクスを解消します


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,96頁(担当:毛利康俊)
【原文】

oder fruchtbar macht, indem man zeigt, welche Phänomene man mit dieser Auflösestrategie sichtbar machen kann und was die Theoriekonstruktion leistet, wenn sie zwischen interner und externer Beoachtung unterscheidet.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 89

ここは直前の "Man zerlegt eine Paradoxie, indem ..." と対になっているのであり、「パラドックスを実りあるものにする」で文は終わり。「解消する」はついてこない。


【訳文】

「死んだ魚たちがライン川を泳いでいる」。これは一つのフォークソングでもありえたでしょうが、今日では一つの非常事態の報告です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,96頁(担当:毛利康俊)
【原文】

"Es schwimmen tote Fische im Rhein." Das hätte ein Volkslied sein können, aber heute ist es eine Alarmmeldung.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 89

「フォークソング」って……。接続法になっているのは「昔なら」という仮定が隠れているから。つまり「昔の民謡の歌詞みたいですが」という意味。


【訳文】

社会のなかでいつも生じているのはコミュニケーションです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,97頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Was immer in der Gesellschaft geschieht, ist Kommunikation,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 90

訳者が "was immer" という語法を知らないことによる誤訳。「社会のなかで何が生じようとそれはコミュニケーションです」。


【訳文】

これはテーマに対する社会学的な関心なのであって、魚たちの死ではありません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,97頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das ist das soziologisch Interessante am Thema, nicht das Sterben der Fische.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 90

邦訳は意味不明。InteressanteとInteresseを混同しているし、何と何が対比されているのかも理解していない。正しくは、「このテーマについて社会学的に興味を惹くのは以上のことなのであって、魚が死んだという事実ではありません」。


【訳文】

こうした二重のパースペクティヴによって、社会におげる自己記述のイデオロギー帯性を取り扱うこともできるでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,97頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Mit dieser Doppelperspektive könnte man auch die Ideologiehaftigkeit der Selbstbeschreibung in der Gesellschaft behandeln.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 90

そんな聞いたことない言葉を使われても……。「耐性」の誤字かと思った。「イデオロギーを帯びているという性質」のことね。「イデオロギー性」でいいんでは。


【訳文】

以前はフロイト的なコンプレックスという観念でもってことを進めていましたし、何であれ存在していたものによってことを進めていました


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,98頁(担当:毛利康俊)
【原文】

als man mit freudianischen Komplexen arbeitete und was immer es gegeben hat.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 91

邦訳は意味不明。そもそも「ことを進める」という訳語があれだが、それに目をつぶるとしても "mit ... arbeiten" はフロイトのところで終わっているのであって、最後の部分は「などなどいろいろありました」くらいの意味。


【訳文】

わたしたちは、自分自身を記述するシステム[訳抜け]から出発するでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,98頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Wir würden von der Soziologie der sich selbst beschreibenden Systeme ausgehen,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 91

「自己を記述するシステムの社会学から」。



作動上の閉鎖性


【訳文】

この区別は特定のシステムが構成する差異です


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,100頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Diese Unterscheidung ist die Differenz, die ein System konstituiert.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 92

邦訳は主語と目的語が反対。「この区別が、一つのシステムを構成する差異なのです」。直後に「誰がこの区別をなすのか」と問うているわけで。


【訳文】

この区別は特定のシステムが構成する差異です


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,100頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Diese Unterscheidung ist die Differenz, die ein System konstituiert.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 92

邦訳は主語と目的語が反対。「この区別が、一つのシステムを構成する差異なのです」。直後に「誰がこの区別をなすのか」と問うているわけで。


【訳文】

このことはほかの誰かがこの区別を観察することを排除しませんし、したがって、あるシステムが環境のなかにあるということをほかの誰かが観察するということを排除しません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,100頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das schließt nicht aus, dass jemand anderer diese Unterscheidung beobachtet, das heißt beobachtet, dass ein System in einer Umwelt existiert.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 92

邦訳は原文通りだが、明らかに間違い。「ある環境の中にあるシステムが存在することを観察する」と同じなのは、「システム/環境の区別を観察する」ではなく、「システム/環境の区別を用いて観察する」である。したがって、原文赤字部分は "mit dieser Unterscheidung beobachtet" でなければならない。文字起こしの際のミスでないならばルーマンの言い間違い。音声ファイルを確認したいところ。


【訳文】

たとえば生物は、生きて、さらに生き続けることによって、それがうまくいくかぎりにおいて、この差異を生み出します。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,100頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ein Lebewesen beispielsweise erzeugt diese Differenz, indem es lebt und fortfährt zu leben, solange es ihm gelingt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 92

邦訳はsolange節のかかるところが間違い。正しくは「生物は生きること、可能な限り生き続けることで、この差異を生み出すのです」。


【訳文】

というのは今や、作動上の閉鎖性の[訳抜け]内部で作動と因果関係を区別できるからです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,102頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Denn innerhalb der Theorie operationaler Geschlossenheit muss man jetzt zwischen Operation und Kausalität unterscheiden.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 93

「作動上の閉鎖性の理論の内部で」。


【訳文】

特定の原因は、その結果との関係に自信がないので関心を引きます。あるいは特定の結果に到達し、そこからさかのぼって、どのような原因がそれを可能にしたかを問います。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,102頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Bestimmte Ursachen interessieren, weil man in Bezug auf die Wirkungen unsicher ist. Oder man will bestimmte Wirkungen erreichen und fragt von dort aus zurück, welche Ursachen sie ermöglichen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 94

邦訳はここで何が対比されているかをまったく理解していない。第1文は、まず特定の原因から出発した場合で、それが「どんな結果をもたらすかが不確かだから」その原因が関心の的になる(問われているおは結果のほう)、という話。第2文は、「特定の結果を達成したいと望む」場合で(邦訳はwillを無視)、そのためそれを可能にする原因が求められるという話。


【訳文】

……関心を引きます。[訳抜け]あるいは特定の……


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,102頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Formal gesehen, ist Kausalität ein Schema der Weltbeobachtung.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 94

「形式的に見れば、因果性とは世界を観察するための一図式です。」


【訳文】

このことはいわば、一方の側におけるシステムが構成し再生産する作動と、他方の側における因果表現を区別することの必然性の裏側です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,103頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das ist gleichsam die andere Seite der Notwendigkeit, zwischen der Operation, die ein System konstituiert und reproduziert, auf der einen Seite und Kausalaussagen auf der anderen Seite zu unterscheiden.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 95

邦訳赤字部分、主語と目的語が反対。正しくは「一つのシステムを構成し再生産する作動」である。


【訳文】

言語使用は機械的ないし電子的な現実化に限定されません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,106頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Der Sprachgebrauch ist nicht auf mechanische oder elektronische Realisierungen begrenzt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 97

邦訳は「言語使用」一般の話をしているように読めるが、これはここで「機械」(Maschine)という言葉を使うけど、いわゆる機械とか電子機械のことだけじゃないよという意味。


【訳文】

情報やエネルギー量子を入力すれば機械は作動し特定の帰結を生み出す


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,106頁(担当:毛利康俊)
【原文】

immer dann, wenn man die Information oder die Energiequanten eingibt, die Maschine operiert und ein bestimmtes Resultat erzeugt


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 97

「エネルギー量子を入力」では意味がわからない。邦訳はEnergiequantenをEnergiequantの複数形だと読んでいるが、普通に考えてEnergiequantum(=エネルギー量)の複数形だろう。


【訳文】

それに対して、非トリビアルな機械は、いつもそれ自身の状態にスイッチを入れ


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,106頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Nichttriviale Maschinen hingegen schalten immer ihren eigenen Zustand ein


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 98

このeinschaltenは「挿入する」。トリヴィアルマシンの場合入力と出力の間の対応が決まっているが、非トリヴィアルマシンの場合はその入力と出力の間に自己状態が挿まれるのである。


【訳文】

このことは、古い用語法で定式化されていましたので、機械がそれ自身のアウトプットをインプットとして利用すると言っておりました。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,106頁(担当:毛利康俊)
【原文】

In der älteren Terminologie hat man das so formuliert, dass man sagte, die Maschine benutzt ihren eigenen Output als Input.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 98

なぜこんな意味不明な訳し方をするのか。ここは「昔はこんなふうに言ってました」というだけのこと。


【訳文】

特定のインプットが入力されるときはいつでも、特定の判決が出てきます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,107頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Immer dann, wenn ein bestimmter Input eingegeben wird, kommt eine bestimmte Unterscheidung heraus.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 98

本訳書には珍しく原典批判して正しく直している(「インプットが入力される」はいかがなものかと思うが)。このUnterscheidungは明らかにEntscheidungの間違い(ルーマンの言い間違いか文字起こしの際のミスかは不明)。英訳版はこれに気づかずdistinctionにしてしまっている。


【訳文】

学生たちへ特定の問いに対して正しい解答を与えなくてはならないのだとすると、教育学者たちは生徒たちをトリビアルな機械のように教育したがっているのだ


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,107頁(担当:毛利康俊)
【原文】

dass sie ihre Schüler wie triviale Maschinen erziehen wollen, wenn diese auf bestimmte Fragen richtige Antworten geben müssen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 98-99

「学生たちが」。あと「学生」「生徒」と違う訳語を同一対象に使っているのでわかりにくい。


【訳文】

解答が間違っているときはそれは間違っているのであり、解答が正しいときそれは正しいのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,107頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Wenn die Antwort falsch ist, ist sie falsch, wenn sie richtig ist, ist sie richtig.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 99

「それ」とは「解答」のこと。邦訳は原文そのままだし、英訳版もこの通りだが、意味不明な文である。可能性としてそれぞれ "sind sie falsch" および "sind sie richtig" が正しく、「解答が間違っているとき、生徒たちは間違っており、解答が正しいとき、生徒たちは正しい」と読む案を記しておく。いずれにしても音声ファイルを聴いてみないとわからない。



4 自己組織性、オートポイエーシス


【訳文】

わたしが今まさに考えていること、今意識のなかで生じていること、わたしが知覚していることが、後続の知覚の明瞭さにとって出発点になる当のものなのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,110-111頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Was ich jetzt gerade denke, was im Moment in meinem Bewusstsein passiert, was ich wahrnehme, ist das, was Ausgangspunkt für die Verständlichkeit weiterer Wahrnehmungen ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 101

これは「理解可能性」くらい。


【訳文】

作動中のシステムをじっと考えているのか、それとも作動を他の諸作動と関係づけているのかにかかわらず


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,111-112頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Gleichgültig, ob man das System in Operation bedenkt oder die Operation auf die Beobachtung anderer Operationen bezieht,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 102

邦訳は抜けあり。「作動を他の作動の観察と関係づける」。


【訳文】

また社会システムですと、たとえば大学の構造を記述するわけですが、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,112頁(担当:毛利康俊)
【原文】

wenn man an soziale Systeme denkt, wie man eine Universität beschreibt


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 102

どっちでもいいけど念のため。「大学を記述する」。


【訳文】

人びとは構造を同定しますが、しかし、これをなすシステムがこれをなすときのみ、これを行います。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,112頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Man identifiziert die Strukturen, tut dies jedoch nur dann, wenn ein System, das dies tut, dies tut.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 102

「人びと」なんて原文にない主体を持ち出してくると、後半で同定するのはシステムだと書いているのと矛盾するのでやめるべき。「構造を同定するといいますが、それは構造を同定するシステムがまさに構造を同定しているそのときにのみ行われることなのです」みたいな感じ。


【訳文】

そして過去のデータで何がその瞬間に用いられるかは、未来投射において何がアクチュアルなものとされているのかに依存します


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,112頁(担当:毛利康俊)
【原文】

und was an vergangenen Daten im Moment benutzt wird, hängt damit zusammen, was an Zukunftsprojektionen aktualisiert wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 102

原文で言われているのは「依存する」のような一方的な関係ではない。「過去のデータのうちどれが現在用いられるかと、未来投企のうちどれが現在化されるかは関連しあう」くらい。


【訳文】

システムが作動を遂行するときにシステムを事実上実現するところの当の作動


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,114頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Operation, die ein System tatsächlich vollzieht, wenn es sie vollzieht,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 104

邦訳は主語と目的語が逆。「ときに」の前後で言っていることが変わってしまう謎訳文(vollziehenという同一の動詞に「遂行」と「実現」という別の訳語を当てているのも謎)。正しくは「システムが作動を遂行する時にシステムが実際に遂行している作動」。なお参照→『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹)。


【訳文】

表現されえます。[訳抜け]ここに高度の


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,115頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das muss mit dem Strukturbegriff erfasst werden.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 105

「このことは構造概念によって捉えられなければなりません。」


【訳文】

構造的に複雑なシステムは、状況への適合という課題をみずから生み出し、その際、それ固有の思考や、こういう言い方の方がよければ、それ固有のコミュニケーションの習慣を考慮に入れることができます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,115頁(担当:毛利康俊)
【原文】

strukturell komplexe Systeme diese Lektion des Zuschneidens auf Situationen selbst bewirken und dabei ihre eigenen Gedanken, wenn man so will, oder ihre eigenen kommunikativen Gepflogenheiten in Betracht ziehen können,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 105

前半、Lektionに「課題」という意味はない。これは「一部」ということ。後半、「こう言ってよければ」がかかっているのは「思考」という言い方のほうである。


【訳文】

最後の問題は、なぜ自己言及性ということが語られるのかということに関係しています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,115頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ein letzter Punkt betrifft die Frage, warum man von Selbstorganisation spricht.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 105

「自己組織性」もしくは「自己組織化」。ついでにvon A sprechenは多くの場合「Aという言葉を用いる」なのでよろしく。正しくは、「最後の問題は、なぜ自己組織化と言うのかについてです。」


【訳文】

システムというものは、おのずから構築された構造があってはじめて作動できます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,115頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ein System kann nur mit selbst aufgebauten Strukturen operieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 105

邦訳は「ほっといたら勝手にできてた構造」と同義になっている。ここのselbstはシステムのことであり、正しくは「システムは自ら築いた構造があってはじめて作動できます」。


【訳文】

みなさんのうちには、ノーム・チョムスキーがこの問題を生得的な自然的な深層構造を要請することで解決しようとしたことをご存知の方もおられるでしょう。もっともそれは経験的には決して発見できないでしょうが


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,115頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Teilweise werden Sie wissen, dass Noam Chomsky das Problem durch das Postulat naturaler Tiefenstrukturen, die angeboren sind, die aber empirisch nie entdeckt werden konnten, zu lösen versucht hat.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 105-106

邦訳は言いすぎ。konntenはただの過去形なので、「経験的にはまだ発見できてないんですけどね」くらい。


【訳文】

そうでないと考えるならば、話すことを習得する人は誰でも、一定の系列で授業を受けるというイメージをもたなくてはならないでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,116頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Wenn man anders denkt, müsste man die Vorstellung haben, dass jemand, der sprechen lernt, in einer bestimmten Sequenz unterrichtet wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 106

喋れない赤ちゃんが授業をうけるのかと。「教わり方の順番が一つに決まっている」くらい。


【訳文】

そのとき、いずれにせよ、さまざまに多様な言語展開を登録するという苦労をすることになるでしょう


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,116頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Dann hätte man allerdings Mühe, die Vielfalt unterschiedlicher Sprachentwicklungen zu registrieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 106

ここは、言語構造は外部から与えられるものであるという説で行くとどうなるかという仮定の話であり、この後に紹介される事例を見据えて、この説で行くなら「言語発達のあり方は人によって多様である事実と折り合いをつけるのが難しくなる」みたいなことを言っているのである。


【訳文】

このように言うことは、ある子どもが習得した言葉がドイツ語大辞典に載っていたり他の人びとが使っているのと同じ言葉であったりすることを観察者が繰り返し確認できない、ということを意味してはいません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,116頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das heißt nicht, dass ein Beobachter nicht immer noch feststellen könnte, dass die Wörter, die ein Kind gelernt hat, dieselben Wörter sind, wie sie im Duden stehen oder wie andere Leute sie benutzen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 106

immer nochは「まだ~だ」だからnichtがつくと「もう~でない」。「繰り返し」という意味はない。「だからといって観察者が~できなくなるという意味ではない」くらい。


【訳文】

言語において同じ単語を別の文で別の日に別の音声状態で夜ではなく朝になどなどの状態で使用するにもかかわらず


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,117頁(担当:毛利康俊)
【原文】

obwohl wir sie in anderen Sätzen verwenden, an einem anderen Tag, in einer anderen Stimmungslage, morgens statt abends und so weiter


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 107

StimmungslageをStimmlageと見間違え? これは「気分も[前に同じ言葉を使ったときとは]違う」ということ。


【訳文】

コミュニケーション・システムは、こうした単語や身ぶりを用いているのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,118頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das Kommunikationssystem stellt Wörter oder auch standardisierte Gesten zur Verfügung,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 108

これは「利用可能にしている」とか「利用できるように提供している」ということ。


【訳文】

もちろん普通は、レシピにしたがった何かしらのモノの製作が指図にしたがって学習されうるだろうと考えられているのでしょうが


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,118頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Sonst müsste man sich vorstellen, dass die Anfertigung von etwas wie von Dingen nach Rezepten, natürlich auf Anweisung, gelernt werden könnte.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 108

「ふつう」の話をしているのではなく、自己組織化論をとらないならこう考えざるをえなくなるよ、と言っているのである(接続法に注意)。「こう考えないのであれば、作り方を読んだり聞いたりして覚えるのと同じような仕方で学習できると考えるしかなくなります」みたいな。


【訳文】

この循環的関係は、フレーミング(framing)、枠づけ、条件として、この循環を作動させたり順序構造に転換したりする、特定のシステムの同一性を前提にしています。その結果、時聞が循環のいわば解消者ということになります


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,119頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Dieses zirkuläre Verhältnis setzt als framing, als Einrahmung, als Bedingung die Identität bestimmter Systeme voraus, in denen dieser Zirkel in Operation gesetzt oder in Sequenzen transformiert wird, sodass die Zeit gleichsam der Auflöser des Zirkels ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 108-109

邦訳は関係節の構造が読めていない。システムの同一性は、循環解消を起動させるのではなくその枠なのである。正しくは、「この循環関係はその枠組み、条件として、何らかのシステムの同一性を前提とします。そしてその枠の内部でこの循環は作動へと転換されたり、シークエンスに並べられたりします。ここではいわば、時間が循環を解消するのです」みたいな。


【訳文】

というのは、なぜ生命の生化学や意味付帯的なコミュニケーションを、つまり記号の意味付帯的な交換のような一回的発見から高度に複雑なシステムや大きな多様性が生じるのかを説明するのが、進化理論の課題であるからです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,119頁(担当:毛利康俊)
【原文】

denn es wäre ja die Aufgabe der Evolutionstheorie, zu erklären, wieso aus Einmalerfindungen wie der Biochemie des Lebens oder der sinnhaften Kommunikation, des sinnhaften Austausches von Zeichen, hochkomplexe Systeme oder eine große Artenvielfalt entstehen,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 109

邦訳は細部がいいかげんであるだけでなくそもそも日本語になってない。正しくは、「生物の生化学的組成や、意味的コミュニケーションすなわち意味的な記号交換のような一回的な発明から、いかにして高度に複雑なシステムや非常に大きな種の多様性が成立したのか、それを説明することこそ進化論の課題だから」くらい。


【訳文】

マトゥラーナはチリ系アメリカ人の英語で、「構成素(component)」という言い方をします。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,120頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Maturana spricht in seinem chilenisch-amerikanischen Englisch von "components".


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 110

マトゥラーナは「チリ系アメリカ人」じゃないだろう。せめて「チリ系アメリカ英語」くらいで。


【訳文】

この概念はそのかぎりで不明確なのですが、他方でしかし、多くのことを明らかにもしています


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,120頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Der Begriff ist insofern unklar, deckt andererseits jedoch auch viel ab,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 110

このabdeckenは「範囲をカバーする」の意。不明確だが、そのぶんいろんなものを含む概念になっているということ。


【訳文】

しかし以上の注意は、マトゥラーナのテキストに対するある種の読み方の示唆というつもりで言ったまでです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,121頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Aber diese Bemerkung ist nur als eine Art Leseanweisung für Maturanas Texte gemeint.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 110

この邦訳を「ある種の読み方」の示唆と読まない人はいないだろう。しかし正しくは「一種の読み方指南のようなもの」くらい。


【訳文】

ここにマトゥラーナは裂け目を見つけ、それ自身の作品であるところのポイエーシスを、もっと言うと意識的な「作品」を、つまり「オートポイエーシス」を語りました。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,122頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Maturana hat dann die Brücke gefunden und von "autopoiesis" gesprochen, von einer Poiesis als ihrem eigenen Werk, und zwar bewusst "Werk".


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 111

邦訳はBrückeをBrücheに見間違え。これは「橋」である。プラクシスとポイエーシスの間に架橋の可能性を見出したということ。次にここのbewusstは副詞である。形容詞としてWerkにくっつけるならbewusstes Werkとなっていなければおかしい。つまり正しくは、「マトゥラーナはここに架橋の可能性を見出し、「オートポイエーシス」という言葉を作ったのです。これは、ポイエーシスによって作られる作品としてのポイエーシスという意味です。ここではあえて「作品」と言っています」くらいか。


【訳文】

したがって、問題になっているのは、「オート(auto)」、つまりシステムがそれ自身の作品であるということと結びついた、産出、つまりある作品の作出であるところの、ギリシャ的ないし厳密な意味での「ポイエーシス」なのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,123頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Es geht also um "poiésis" in einem griechisch oder traditional strengen Sinne als Produktion, Herstellung von einem Werk, kombiniert mit "auto", das heißt, das System ist sein eigenes Werk.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 112

この「つまり」は全体(=オートポイエーシス)の言い換えであって、邦訳は置き場所が間違い。正しくは「[オートポイエーシスとは]ある作品の製作、生産というギリシア的ないし伝統的な用法に厳密にのっとった意味での「ポイエーシス」に、[自己を意味する]「オート」がくっついた言葉であり、それはすなわち、システムがそのシステム自身が製作する作品であることを意味しています」とか。


【訳文】

というのは生物学の領域では、こういう言い方をお望みならば、インフラストラクチャー、別の言い方では、オートポイエーシスの化学が説明されています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,123頁(担当:毛利康俊)
【原文】

denn im Bereich der Biologie ist die Infrastruktur, wenn man so sagen will, oder die Chemie der Autopoiesis geklärt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 112

「オートポイエーシスの」は両方にかかる。klärenは「説明」よりは「解明」。「生物学の領域では、オートポイエーシスのいわばインフラストラクチャー、あるいは化学的組成についてすでに解明されています」みたいな。


【訳文】

一つは創造があらかじめそのように計画したからこそ世界は一定の本質構造を示し偏在的な類似性を生み出すのだ、という[訳抜け]主張です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,123頁(担当:毛利康俊)
【原文】

auf einer ontologischen Behauptung, dass die Welt eine Wesensstruktur aufweise, die überall Ähnlichkeiten produziert, weil die Schöpfung es so vorgesehen hat,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 112

「偏在的」は「遍在的」の誤字。さらにüberallは副詞だから「類似性を遍在的に生み出す」とすべき。訳抜け部分は「存在論的な主張」。


【訳文】

彼は、オートポイエーシスから出発してコミュニケーションを語るならば、それを示さなければならない、といつも言っていました。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,124頁(担当:毛利康俊)
【原文】

er hat immer gesagt, wenn man von der Autopoiesis der Kommunikation spreche, müsse man das zeigen können.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 113

邦訳は der Kommunikation が2格以外の何だと思ったのか。正しくは「コミュニケーションのオートポイエーシスという言い方をする」。


【訳文】

しかし、そう、すでに生物学において、生化学の一度きりの発見の成果としての、虫、人間、鳥、魚の差異は、オートポイエーシスによって説明することはできない、と言えます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,126頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Aber schon in der Biologie gilt ja, dass die Differenz der Würmer, Menschen, Vögel und Fische als Ergebnis der Einmalerfindung der Biochemie nicht über Autopoiesis erklärt werden kann.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 114

邦訳は生化学という学問上の発見の話のように書いているがこれは「生化学的組成の一回的発明」、要するに突然変異のことである。そもそもErfindungは「発明」であって「発見」ではない。


【訳文】

このことがいったん確保されると、社会が構成されます。しかしそのときなお、いつも構成されるのは、ホッテントット族やサポテク族、アメリカ人、その他の文化に属する人たちでありえます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,126頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Wenn das einmal gesichert ist, ist damit Gesellschaft konstituiert, aber das können dann immer noch Hottentotten, Zapoteken, Amerikaner oder irgendwelche anderen Kulturen sein.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 115

訳者はimmer noch(まだ~だ)という表現を知らない模様(同様の間違いが上でもあった)。またここで列挙されているのは明らかに「人たち」ではなく、それぞれの部族社会である(あとこの「アメリカ人」は当然ネイティヴアメリカンのこと)。文意は、「社会が構成される」というが、それは単一の社会ではなく、生物種が多様であるのと同様、異なる複数の社会でありうるため、その違いの発生原因についてはこの理論では説明できない、ということ。


【訳文】

それは事態によって変化しえます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,126頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Das kann in der Zeit variieren,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 115

これはどうやら「時代によって」と書こうとして打ち間違えたものとみられる。


【訳文】

この観念にしたがえば、オートポイエーシス理論は一つのメタ理論であり、本来的な仕方で再びつぎのような「何々とは何か」問題に答えるアプローチなのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,126-127頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Nach dieser Vorstellung ist die Autopoiesistheorie eine Metatheorie, ein Ansatz, der auf eigentümliche Weise wieder auf Was-Fragen antwortet:


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 115

邦訳はeigentümlicheをeigentlichと見間違え。正しくは「特有の仕方で」。


【訳文】

こうした「何か問題」に答えるのがオートポイエーシスの概念であり、これもまたマトゥラーナの思想です


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,127頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Auf diese Was-Fragen, auch das ist ein Gedanke Maturanas, antwortet der Begriff der Autopoiesis.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 115

邦訳は「これ」が何を指すのか不明だし「思想」は大仰すぎる。ここは「オートポイエーシス概念はこれらの「~とは何か」という問いに答えるものだということで、これもやはりマトゥラーナがそう考えているわけです」みたいな。


【訳文】

誰でももし望むのならば、ある理論による基礎の転換と関わることはできますが、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,127頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Man hat es, wenn man so will, mit der Umfundierung einer Theorie zu tun,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 115

これは「[オートポイエーシス概念によって]理論の基礎を作り直しているのだという言い方をすることもできますが」ということ。


【訳文】

この概念で作業を続け、そのために必要な理論的決定を下し、もろもろの現象を腑分けすることができるためには、システム理論はほどほどの一般化のレベルでの仕事を充実させなくてはなりません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,127頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Die Systemtheorie muss sich auf einer allgemeineren Stufe anreichern, um mit dem Begriff arbeiten, um Entscheidungen treffen und Phänomene separieren zu können.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 115

「より一般的な水準で」。「ほどほど」って何?


【訳文】

コンピュータ仕事が依拠しているプログラムによって、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,128頁(担当:毛利康俊)
【原文】

durch ein Programm, nach dem ein Computer arbeitet,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 116

「コンピュータ仕事」って何? 正しくは「コンピュータの作動が従うプログラム」とか。もっと簡潔に「コンピュータのプログラム」でもいい。


【訳文】

グンター・トイプナーはフィレンツェで、進化理論的考察をオートポイエティック・システムの理論に組み入れることができるように、決定的な提案をしました。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,128頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Gunther Teubner in Florenz hat einen entsprechenden Vorschlag gemacht, um evolutionstheoretische Überlegungen in die Theorie autopoietischer Systeme einbeziehen zu können.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 116

邦訳はentsprechendenをentscheidendenに見間違え。正しくは前文をうけて「これに対応する提案」。あと、トイプナーじゃなくてトイブナー。


【訳文】

文献があることを知りました。[訳抜け]システムはある点では


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,128頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ein System sei relativ autonom.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 117

「相対的に自律的なシステムがあるというのです」くらい。


【訳文】

あるシステムは環境から独立すればするほど環境に依存しなくなる


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,129頁(担当:毛利康俊)
【原文】

ein System umso unabhängiger von der Umwelt ist, je weniger abhängig ist es.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 117

邦訳は関係を逆に書いている。正しくは「環境に依存しなくなるほど環境から独立する」。


【訳文】

このことはやはり作動上の閉鎖性の理論に帰着するのですが。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,129頁(担当:毛利康俊)
【原文】

das führt wieder auf die These operativer Geschlossenheit zurück,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 117

たぶんTheseをTheorieに見間違え。正しくは「作動上の閉鎖性のテーゼ」。


【訳文】

この最終結果を納得していただけたかどうか、自分でも確信があるわけではありません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,129頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Ich bin mir selbst nicht einmal so sicher, ob das letzten Endes überzeugt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 117

邦訳は "das letzten Endes" を主語にしているが、それなら "das letzte Ende" でなければならない。この文はdasが主語、 letzten Endes が「最終的に」の意味の副詞句なのである。正しくは「このことについてみなさんが納得しきれているかどうか」くらい。


【訳文】

わたしたちは特に西欧の伝統のなかで(……)


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,129頁(担当:毛利康俊)
【原文】

Wir haben speziell in der europäischen Kultur [...]


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 117

「ヨーロッパ文化では」。



5 構造的カップリング


【訳文】

およそ存在するもののすべてと構造的にカップリングされるわけではないからです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,133頁(担当:庄司信)
【原文】

denn nicht alles, was es überhaupt gibt, ist mit dem System strukturell gekoppelt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 121

まあなくても構わないが一応。「およそ存在するもののすべてがシステムと構造的にカップリングされるわけではない」。


【訳文】

すなわち、構造的カップリングは一方で排除効果をもち――排除されたものの領域ではシステムは何の意味ももちません――


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,134頁(担当:庄司信)
【原文】

dass strukturelle Kopplung einerseits einen Ausschließungseffekt hat — in diesem Bereich ist das System indifferent


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 121

これは「システムにとって意味がない」ということ。


【訳文】

その場合にのみ、システムは刺激や因果関係によって何かを始めることが可能である


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,134頁(担当:庄司信)
【原文】

dass nur dann ein System etwas mit Irritationen und Kausalitäten anfangen kann


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 121

これは「刺激や因果関係について何らかの形で取り扱う」という意味。


【訳文】

わたしたちが知っている状態では、巨大な複雑性がともなっています。その巨大さは、またしても言語そのものに注目すれば明らかでしょう


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,136頁(担当:庄司信)
【原文】

aber in den Zuständen, die wir kennen, mit einer enormen Komplexität ausgestattet ist, die sich in der Sprache selbst dann wieder findet.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 123

言語を介して構造的にカップリングされる意識と社会の双方に、現在では巨大な複雑性が見られるが、仲介役の言語そのものにも同等に巨大な複雑性が見られる、という文意。


【訳文】

きわめてわずかな規格化された記号だけが文字に適していて、そうは見なされないものの一切はまったく問題になりません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,136頁(担当:庄司信)
【原文】

Nur ganz wenige standardisierte Zeichen eignen sich als Schrift, und alles, was man sonst sieht, kommt einfach nicht in Betracht.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 123

これは、「それ以外のものは目に入っても認識されません」くらい。「見えていても見えない」ということ。


【訳文】

つまり、たしかに経済における情報を集約したものではあるのですが、それが政治にとって価値ある情報なのかどうかを決定しているのはあくまでも政治であるような、そうした情報によって政治は営まれているということです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,145頁(担当:庄司信)
【原文】

dass die Politik somit mit Daten arbeitet, die zwar Zusammenfassungen von Daten in der Wirtschaft sind, aber ihren Informationswert für die Politik wiederum nur politisch zugeschrieben bekommen,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 131

ここでルーマンは明らかにデータ/情報を区別して論じているのであって、訳し分けないとだめ(赤字の「情報」を「データ」に直す)。邦訳だと「価値のない情報」という概念が成り立つかのようだがルーマンにおいてそれはない。


【訳文】

生存能力が試されなかったり、忘れ去られたり、絶滅してしまったりした生命の可能な形式が膨大にある一方で、現存する生命の形式もじつに多様です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,146頁(担当:庄司信)
【原文】

Es gibt viele Möglichkeiten, die sich nicht bewährt haben, die vergessen sind, die wieder untergegangen sind, und andererseits gibt es eine reiche Vielfalt von vorhandenen Formen des Lebens.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 132

赤字部分が意味不明。「生存に適していなかったり」くらいで。


【訳文】

その意味にしたがえば、いったんすべてがそろえばおのずと発展するということになります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,146頁(担当:庄司信)
【原文】

nach dem einmal alles zusammen war und sich dann entwickelt hat.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 132

これは「もともと全部が揃っていて」ということ。


【訳文】

以上のことは文化や社会の進化――もし複数形で言うとすれば、さまざまな文化やさまざまな社会の進化――についても言えるかもしれません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,148頁(担当:庄司信)
【原文】

Das könnte man auch für die Evolution von Kulturen oder von Gesellschaften sagen, wenn man das im Plural sagen will


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 133

進化は淘汰だから対象が複数でないと考えられない――という事情を反映した断り書きと読むべきだろう。ところで文化はふつう複数だが、「社会」については特にルーマンは単一の世界社会を考えるので、あえてここで複数と断っているのは「社会」のほうだけかもしれない。


【訳文】

パウル・ヴァツラヴィクスの有名な言葉、人はコミュニケーションせずにはいられない、を思い出してみてください。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,148頁(担当:庄司信)
【原文】

denken Sie an Paul Watzlawicks berühmtes Diktum, dass man nicht nicht kommunizieren kann


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 133

人名の最後のsは2格のsだから。英語読みなら「ポール・ワツラウィック」、ドイツ語読みなら「パウル・ヴァツラヴィック」。


【訳文】

理解可能な伝達事項の範囲


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,148頁(担当:庄司信)
【原文】

Der Bereich der verstehbaren Mitteilungen


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 134

ここは明らかにルーマンのコミュニケーション概念の定義が示唆されているのだが「伝達事項」では意味不明。そもそも『社会システム理論』の訳者たちがMitteilungを「伝達」と訳したのが悪いのだが、やはりこの語は「発話」(より一般的に「発信」でも)と訳すべき(英語ではutterance)。したがって「理解可能な発話の範囲」。


【訳文】

そこには何らかの範型があるはずです。それはコミュニケーションを機能させはしますが、実際にコミュニケーションがどのように展開していくのかということまで予想可能とするようなものではありません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,149頁(担当:庄司信)
【原文】

Es muss dafür Muster geben, die kommunikativ funktionieren, aber in der Tatsache, in der Erfindung der Kommunikation noch nicht vorgesehen sind.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 134

ここは出鱈目。「このためには、コミュニケーションにおいて機能するものではあるが、コミュニケーションが発明されたという事実それ自体においてはまだ予見されていなかったような範型がなければならない」くらい。


【訳文】

オートポイエーシスから出発するならば、これらすべては起きることです。作動様式そのものの内にそうなるべく仕組まれているわけでもなければ、生命の本性やコミュニケーションの本性なるものがあっておのずと発展していこうとする衝動をもつ、あるいはおのずと完成へ、多様性へ、異質性へ、複雑性へ向かうようにできているなどといったことを想定する必要もありません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,150頁(担当:庄司信)
【原文】

Das alles geschieht, wenn man von der Autopoiesis ausgeht, ohne dass es in der Operationsweise selbst angelegt wäre, also ohne dass man unterstellen müsste, es gäbe eine Natur des Lebens oder eine Natur der Kommunikation, die von sich aus Entfaltungsdrang hat, von sich aus auf Perfektion, auf Vielfalt, auf Verschiedenheit, auf Komplexität angelegt ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 135

これは「~しなくても起きることです」という文なので、二文に分けて「これらすべては起きることです(キリッ」とか言われても意味不明。


【訳文】

しかも後の世代が受け継いだ範型は、他の人たちのそれとぴったり同じだとされます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,151頁(担当:庄司信)
【原文】

diese Muster, die im Nachwuchs dann genau dieselben sind, die sie in anderen sind.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 136

これは明らかに「他の世代」である。つまり "in anderen" は "in anderen Nachwuchs" (複数)である。


【訳文】

伝承の問題に関してさまざまな考察がなされてきましたが、やはりここでもどうやってそのような同一性が成立するのかということが問題になります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,151頁(担当:庄司信)
【原文】

Wie bei allen Überlegungen zu Fragen der Übertragung, stellt sich jedoch auch hier wieder die Frage, wie diese Identität zustande kommt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 136

これは「伝承[伝達]の問題について考えるときにはつねにそうであるように」ということ。


【訳文】

大学の一定の特徴を列挙し、それにもとづいて同一性を確認する観察者が関わっていなければ、どうやって同一性について語ることができるでしょうか。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,151頁(担当:庄司信)
【原文】

Wie kann man von Selbigkeit reden, ohne dass ein Beobachter involviert ist, der gewisse Merkmale der Universität benennen kann und aufgrund dieser hochselektiven Benennung Identitäten feststellt?


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 136

「非常に選択的な」が訳抜け。ここは、大学の同一性を担保する定義的特徴の列挙が観察者の恣意に依存した選択的なものだ(だから観察者なしに同一性は成立しない)という話なので、この形容詞を抜かされると意味が通じない。


【訳文】

意識とは一種の白紙委任状のようなものであるということから出発するならば、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,151-152頁(担当:庄司信)
【原文】

Wenn man davon ausgeht, dass Bewusstsein eine Art Blankett ist,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 136

「委任状」である必要はないのであって(誰が誰に何を委任するのかという問題が無駄に発生することになる)、ここは「白紙」だけでよい(タブラ・ラサ的な意味で)。


【訳文】

個人の自由な選択に委ねられているとともにオートポイエーシスとも両立可能であるこうしたさまざまな道が、伝承モデルよりも優る社会化理論の出発点を提供するのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,153頁(担当:庄司信)
【原文】

Diese verschiedenen Pfade, die für ein Individuum offen stehen und mit Autopoiesis kompatibel sind, liefern einen besseren Ausgangspunkt für eine Theorie der Sozialisation als das Übertragungsmodell.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 138

社会化が「個人の自由な選択」に委ねられるわけがない。文意は、一定のパターンが外部からそのまま取り入れられるわけではないというだけの話なので、「個人に多様な可能性を許す」とかそんな感じでよい。


【訳文】

わたしは君たちに言います。わたしは観察者です、わたしは講演者です、これがわたしの自己表現の仕方です、と。もし君たちが、互いの言うことを理解しようと思うならば、まずはわたしが今言ったことを――それが他人にとってどんな意味をもつにせよ――まさにわたしが言っているということを確認しなければなりません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,154頁(担当:庄司信)
【原文】

Ich aber sage euch, ich bin der Beobachter, ich bin der Redner, und dies ist meine Art und Weise, mich auszudrücken; wenn ihr begreifen wollt, was ihr sagt, müsst ihr zunächst einmal sehen, dass ich es sage, was immer das für andere bedeuten mag.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 138

まず冒頭の "Ich aber sage euch" は「山上の垂訓」における「汝らに言う」なので、全体をイエスが垂訓してるっぽく訳す必要があるだろう(なお、これはパロディであると同時に、汝らに言っているのは私だ、という内容上の意味も込められているだろう)。その点も含め Redner を「講演者」はありえない。「語る者」くらい。もっと重大なのは「互いの言うこと」と訳されている "was ihr sagt" で、これは "wenn ihr begreifen wollt, was ihr sagt" となっていて「汝らが汝らの言うことを理解しようと思うなら」だから「互い」の要素を入れること自体がちょっと踏み込みすぎだと思うが、そもそも原文が誤りだろうと思う。というのは、邦訳が「わたしが今言ったこと」としているesが指すのは文の構造上、まさにこの "was ihr sagt" でしかありえないからである。したがってここは文字起こしの際のミス(もしくはルーマンの言い間違い)で、 "was ich sage" が正しいと私は判断する(英訳版は断らずに "what I say" にしている)。


【訳文】

これまでの講義では観察者を度外視していたので、じつはいろいろと困ることがあったということに、みなさんも思いいたるのではないでしょうか。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,155頁(担当:庄司信)
【原文】

Sie werden sich erinnern, dass ich schon während der bisherigen Vorlesung Schwierigkeiten hatte, den Beobachter außen vor zulassen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 139

邦訳は構文が読めていないために原文の文意と正反対のことを書いている。ここは「ここまでの講義でもついつい観察者を登場させてきちゃってた」(直訳すると「登場させないことが困難だった」)ということである。なお、原文の最後 "vor zulassen" となっているのは明らかに "vorzulassen" の間違い。


【訳文】

現代社会では、観察者の観察が、あるいは現実意識から記述の記述へのシフト、つまり他者が言っていること、あるいは言っていないことをとらえることへのシフトが、世界を捉える進んだ様式になっている


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,156頁(担当:庄司信)
【原文】

dass in der modernen Gesellschaft die Beobachtung der Beobachter, das Verlagern von Realitätsbewusstsein auf die Beschreibung von Beschreibungen, auf das Wahrnehmen dessen, was andere sagen oder was andere nicht sagen, die avancierte Art, Welt wahrzunehmen,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 140

赤字部分、邦訳も英訳も同様の読み方をしているのだが、「現実意識」と「記述の記述」は対比されるものではないだろう。ここは、「現実意識を記述の記述へとシフトする」(現実意識の記述の記述へのシフト)という意味だと思う(つまりvonを「~から」ではなく「~の」の意味で読む)。ルーマンは現実への参照は理論の生命線だと考えているので、現実という言葉を軽んずるような書き方はしないはず。むしろ、「~が存在する」ということにリアリティを感じるのではなく、「~と記述されていると自分は記述しているんだ」ということの方にリアリティを感じるようになってきているんではないかという文意だろう。


【訳文】

人は、さまざまな事態について、それについて他者が何と言っているのかを知ることによってのみ情報を得るのです。人間自身、別人でもありえますし、誰かが正しいと思っていることをそのまま正しいと見なす必要はありません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,156頁(担当:庄司信)
【原文】

Man informiert sich über Sachverhalte nur durch Blick auf das, was andere darüber sagen. Man selbst kann auch ein anderer sein, man braucht nicht dasselbe für wahr zu halten,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 141

ここは、他人が言っていることについて自分は同意見でなくてもいい、という文意でないとおかしい。少なくとも邦訳の赤字部分は意味不明である。それほど自信はないが原文赤字部分は "Man selbst kann auch ein [Mensch] anderer [Meinung] sein" という文が一部省略されたものなのではないか。


【訳文】

そういえば郵便局から誰か来ることになっていたんじゃないの」といった具合です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,157頁(担当:庄司信)
【原文】

"Da kann ja einer von der Post kommen."


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 141

邦訳は明らかに苦し紛れ。これは元々 "Da kann ja jeder kommen" という表現があって、「誰でも来られるんだから」とか「誰が来るかわかったもんじゃないんだから」みたいな意味なのをもじっているのである。つまり「郵便局からだって人は来るんだから」ということである。これがさらになんかのパロディになっているのかどうかについては不明。


【訳文】

わたしたちはむしろ、当該事象を自分なりに理解しようとして、科学、経済、政治、あるいはマスメディアといった正当性を主張するシステムにしたがうのではないでしょうか。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,157頁(担当:庄司信)
【原文】

Wir machen uns lieber unseren eigenen Vers auf die Sachen und richten uns nach legitimierenden Systemen wie Wissenschaft, Ökonomie, Politik oder Massenmedien,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 141

legitimierenは「正当な根拠を与える」という意味なのだから、単に「主張する」だけではなく実際に正当性を与えるのである。訳文では「……といったシステムに根拠を求める」くらいで十分。



6 観察


【訳文】

観察は作動と見なされるのに対して、観察者はつぎのようなとき自己形成するシステムと見なされます。すなわち、観察という作動が個々ばらばらな出来事ではなく、連続的なものとしてのまとまりをなし、そのまとまりが環境から区別しうるとき、観察者は自らを形成するシステムと見なされます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,158-159頁(担当:庄司信)
【原文】

Beobachten wird als eine Operation gesehen und der Beobachter als ein System, das sich bildet, wenn solche Operationen nicht nur Einzelereignisse sind, sondern sich zu Sequenzen verketten, die sich von der Umwelt unterscheiden lassen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 142

邦訳はwenn節のかかる位置を間違えている。「~とき~と見なされる」ではなく、「~とき形成される」である。つまり、個々別々の作動としての観察が連鎖するときに形成されるシステムが観察者である、ということ。


【訳文】

この区別とともにこれまで登場した諸概念を使用します。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,159頁(担当:庄司信)
【原文】

Wir verwenden damit Begriffe, die bereits vorgekommen sind,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 142

邦訳はdamitのdaを「観察と観察者の区別」としているがそんな読み方は成り立たない。このdaは前文全体であり意味は「このように」である。この文では、前文で観察/観察者を定義するのに「作動」と「システム」という「これまで登場した」二つの概念を用いたことを示唆しているのである。


【訳文】

コンピュータの発達、特にフォン・ノイマン型マシーンから得られた認識成果は、古めかしい言い方をすれば、プログラムを利用し、場合によってはそれを発展させることもある作動、そしてそれよってシステムが自らを制御することができる作動は、システムの内部で起こるということでした。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,159頁(担当:庄司信)
【原文】

Es ist eine Erkenntnis aus der Computerentwicklung, speziell aus den Von-Neumann-Maschinen, wenn man das altmodisch ausdrücken will, dass die Operation, die ein Programm benutzt oder eventuell entwickelt und mit der sich das System kontrollieren kann, innerhalb des Systems stattfindet.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 142

邦訳は「古めかしい言い方」がdass節の内容だと解しているが間違い。これは今風の言い方をすれば「コンピュータ」と呼ばれるものを、「フォン・ノイマン機械」と古めかしく言ったことを指している。


【訳文】

これを聞けば、人は一瞬絶句してしまうでしょう


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,162頁(担当:庄司信)
【原文】

Dann sitzt man erst einmal fest.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 145

邦訳は文意が理解できなかったことによる苦し紛れ訳。正しくは、区別そのものを観察すると「同じものが異なる」というパラドックスに相対して「まずは動けなくなる」ということ。「まずは」というのは、当該区別を区別すれば動けるようになるから。


【訳文】

事物あるいは形式あるいは実体の総体としての世界を啓蒙主義的に、あるいは科学的に、明らかにするということはありえません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,164頁(担当:庄司信)
【原文】

es gibt keine aufklärerische oder wissenschaftliche Erhellung der Welt als einer Gesamtheit von Dingen oder Formen oder Wesenheiten,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 147

これは「世界を~の総体として明らかにすることはできない」という意味。どこかが見えているときには必ず見えていない部分があるという意味で。


【訳文】

ここまで観察という作動の特徴を論じてきました


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,164頁(担当:庄司信)
【原文】

Wir haben bis jetzt nur die Operation Beobachten charakterisiert


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 147

ここは、作動としての観察についてしか特徴づけをしてこなかった(観察者についてはその連鎖の結果として生じるとしか言ってこなかった)ということで、nurがこの文の中心なので抜かしてはいけない。


【訳文】

こうした場合は、心理的に問題にすることもできますし、コミュニケーション的に問題にすることもできます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,165頁(担当:庄司信)
【原文】

Was hier geschieht, kann man psychologisch oder kommunikativ thematisieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 148

「話題」、「テーマ」、「主題」とかそういう言葉を使ってほしい。


【訳文】

原理的に言及システムを申告することは可能です


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,165頁(担当:庄司信)
【原文】

Grundsätzlich ist die Systemreferenz anzugeben.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 148

邦訳は意味不明。これは本当はシステム参照を定めないといけない(つまりどのシステムのことを言っているのかを明示しないといけない)んですよ、ということ。でも、単に観察者とだけ言うと心的システムのことしか想像してもらえない、と続く。


【訳文】

しかし、人が単純に観察者について語るとき、誰もが自動的に心的システムを、つまり意識を思い浮かべてしまいます。しかし、定義から言っても、またこの概念装置によって意図されている複雑性と抽象性から言っても、決して心的システムを意味しているわけではないのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,165-166頁(担当:庄司信)
【原文】

Wenn man unbedarft vom Beobachter spricht, denkt jeder automatisch an psychische Systeme, an Bewusstsein, aber das ist von der Definition und von der beabsichtigten Komplexität und Abstraktheit des Instrumentariums her nicht gemeint.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 148

このdasは前半の内容であり、「観察者という言葉で自動的に心的システムを思い浮かべる」ことである。それが否定されているだけであって、心的システムが観察者であることも当然あるのだが、邦訳では心的システムは「決して」観察者になりえないかのように書かれている。


【訳文】

区別のもう一方の側というと、わたしたちはつねに自動的に否定を、しかも「それ以外のすべて」ではなく、特定の「これ」を意味する否定をイメージしてしまいますし、実際、区別を言語で表現するときには否定を用います。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,166頁(担当:庄司信)
【原文】

Wir führen hier automatisch immer die Vorstellung einer Negation mit, nach der wir nicht alles andere, sondern dies meinen, und formulieren das sprachlich über die Negation.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 148

「「それ以外のすべて」ではなく、特定の「これ」を意味する否定」というのは「真の否定は偽」みたいに、内容が特定された否定のように読めるが、原文が言っているのは、「これではない他のすべて」が否定だということだろう。また最後のdasはまさにそのことを指すのであって、これを「区別」と解するのは無根拠。


【訳文】

この問題は触れるだけに止めておきます。というのも、この問題に関してはすでに若干ながら議論がなされており、


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,166頁(担当:庄司信)
【原文】

Ich erwähne das Problem nur, denn es gibt hierzu bereits einige Diskussion,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 148

「すでに議論があるから触れるだけにとどめる」というのは理由になっていない。このnurは――邦訳はerwähnenにかかっていると読んででいるのだが――正しくはdenn節にかかっているのであって、要するに前段落でどうして社会学には関係なさそうな生物学の話をしたかというと、実はこの件でちょっと論争がありましてね、という流れである。


【訳文】

これは独特な言語のとらえ方で、わたしが提示した問題は不問に付されてしまいます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,166頁(担当:庄司信)
【原文】

Das ist eine eigentümliche Fixierung, die das Problem, wie ich es gestellt habe, umgeht.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 148-149

このFixierungは「言語の捉え方」ではない。前段落でルーマンが指摘した問題は、観察概念を生物学に応用した場合、観察されていない「他の側」をどう捉えるかが不定であるというものだった。これをうけて、ここではマトゥラーナはそれを独自の仕方で特定した(ために問題が生じなくなった)と肯定的に評価しているのである。だから邦訳後半のネガティヴな訳し方も間違い。


【訳文】

観察者とは究極的人物であり、それはそれで説明が求められますが、その求めには具体的な術語、つまり特定の区別によってしか応えることができません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,167頁(担当:庄司信)
【原文】

Der Beobachter ist die Letztfigur, die wiederum einen Explikationsbedarf aufwirft, der nur über konkretere Terminologien, also bestimmte Unterscheidungen, eingelöst werden kann.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 149

邦訳は観察者を説明する必要が出てくるみたいに解しているが間違い。観察者という概念を出すと、どんな区別についても(なぜそれを使うのかみたいな)説明が必要になるということ。wiederumとあるのは、システム/環境の区別についてもそうだったけど、今回の主体/客体の区別についてもそうだよということ。


【訳文】

ですから、たとえばシステム‐環境という区別はいったん脇において、代わりに主体‐客体という区別を用いる、などと言ったりすることも可能でしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,167頁(担当:庄司信)
【原文】

So könnte man sagen, dass wir einmal die System-Umwelt-Unterscheidung beiseite lassen und stattdessen Subjekt-Objekt-Unterscheidungen nehmen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 149

「用いる」のではなく「採り上げる」。今度はこっちの区別について論じますよ、ということ。


【訳文】

たとえば、知識社会学的なやり方で神学の歴史を記述する場合、わたしたちは、人はどのようにして神を信仰するようになるのかということを説明することを目標にしているのでもなければ、その説明を神学に要求しているわけでもないのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,170頁(担当:庄司信)
【原文】

Wenn wir zum Beispiel in einer wissenssoziologischen Manier die Geschichte der Theologie beschreiben, haben wir nicht das Ziel und auch nicht den Anspruch, zu erklären, wie man dazu komme, an Gott zu glauben.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 152

この "Anspruch haben" は説明できたと「自称する」ということ。つまり「説明を目標にしているわけでも、説明できたと主張しているわけでもない」ということ。「神学に要求する」なんて原文にはないし、文脈とも合わない。


【訳文】

わたしにとって主体はどこにあるのかなどという問題に何度も何度も直面しなければならないほどの意義を、どうして主体概念はもっていたのかという問いに関するものです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,172頁(担当:庄司信)
【原文】

weshalb der Subjektbegriff eine derartige Bedeutung gehabt hat, dass ich immer noch mit der Frage konfrontiert werde, wo bei mir denn das Subjekt bleibe.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 153

邦訳は文意を捉えられていない。これは「『ルーマン先生、あなたの議論では主体はどこに位置づけられるのですか』という質問をいまだにされるわけだけど、どうしてみんなそんなに主体が好きなのかねえ(もううんざりなんだけど)」という趣旨の文である。


【訳文】

あるいは、わたしとは一人であるとき、そもそも他の主体とはいったい何なのでしょう。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,173頁(担当:庄司信)
【原文】

Oder was ist überhaupt ein anderes Subjekt, wenn ich eins bin?


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 154

このeinsは「一人の主体」という意味である。自分が主体だとしたら、他にも主体がいるという想定は困難になるという話。


【訳文】

つぎに、観察あるいはセカンド・オーダーの観察の問題について述べたいと思います。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,174頁(担当:庄司信)
【原文】

Ein weiterer Punkt betrifft die Frage der Beobachtung oder des Beobachtens zweiter Ordnung.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 155

邦訳は、「観察の問題」あるいは「セカンド・オーダーの観察の問題」と解しているが間違い。これは単にBeobachtungをBeobachtenと言い換えただけであって "zweiter Ordnung" はどちらにもかかっている。日本語では訳し分ける必要はなく、単に「セカンド・オーダーの観察の問題」とのみすればよい。


【訳文】

つまり、わたしたちは今、セカンド・オーダーの観察の発見について語っているのです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,175頁(担当:庄司信)
【原文】

dass wir von einer Entdeckung eines Beobachters zweiter Ordnung sprechen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 156

ここは「観察」ではなく「観察者」。


【訳文】

ビエラ・ダ・シルバの絵


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,177頁(担当:庄司信)
【原文】

Bilder von Vieira da Silva


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 157

邦訳は何語読みのつもりなのかよくわからない(スペイン語?)。ポルトガル出身でフランスで活躍した画家だそうなので、ポルトガル語読みなら「ヴィエイラ・ダ・シウヴァ」、フランス語読みなら「ヴィエラ・ダ・シルヴァ」だと思う。


【訳文】

わたしたちはただ、自分は今どのような区別を用いて何を観察しているのか、そしてわたしたちの背後でそれを可能としている見えない条件は何なのか、ということを自覚するように十分洗練されるしかありません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,180頁(担当:庄司信)
【原文】

wir müssen nur raffiniert genug sein zu wissen, was wir mit welchen Unterscheidungen und mit welchen Blindheitsbedingungen hinter unserem Rücken beobachten können.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 160

これは「必要なのは~だけだ」、「~するだけでいい」という意味だろう。


【訳文】

どれほど世論調査をしたところで、人びとが本当のところ何を考えているのかを知ることのできる政治家など一人もいません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,181頁(担当:庄司信)
【原文】

Trotz aller Umfrageforschung kann kein Politiker wissen, was die Leute wirklich denken,


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 161

この前後で、政治家は「世論」については知りうるという話が展開されるので、ここで否定的に言及されるこれを「世論調査」と訳してはいけない。「アンケート調査」くらいにしておくべき。


【訳文】

せいぜい統計処理による予測から、若干の人びとが何を言っているのか、何を考えているのかがわかる程度です。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,181頁(担当:庄司信)
【原文】

allenfalls was einige, statistisch hochgerechnet, sagen, was sie denken.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 161

「統計処理による予測」ではなく「統計的推定」。また邦訳は "was einige sagen" と "was sie denken" を並列させて読んでいるが、これは一つながりで、「一部の人が自分の考えとして言ったこと」という意味だろう。


【訳文】

その代わりをするのが世論です。世論も一種のコミュニケーションの結果ですが、さらなるコミュニケーションのために用意される結果です


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,181頁(担当:庄司信)
【原文】

Die öffentliche Meinung, das Resultat einer Kommunikation, das für weitere Kommunikation bereitgestellt wird, ist dafür ein Ersatz.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 161

邦訳は「コミュニケーションの結果」であることを消極的に訳しているが間違い。世論は、「次のコミュニケーションのために用意されるコミュニケーションの結果」であるがゆえに、政治家にとって可視的なのである。


【訳文】

このことは一九世紀以来、たぶんヘーゲルからだと思いますが、芸術作品を評価できるのは、その作品が効果をねらって用いている形式に注目するときだけだというふうに表現されています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,182頁(担当:庄司信)
【原文】

Das wird seit dem 19. Jahrhundert, ich glaube seit Hegel, so ausgedrückt, dass die Kunst nur geschätzt werden kann, wenn man auf die Mittel achtet, die sie verwendet, um Effekte zu erzeugen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 161

邦訳はあえて「形式」としたのだろうが「手段」。


【訳文】

それにうまく対処できなければなりません。その際、セカンド・オーダーの観察の次元で対処の仕方がどう認識されるかなどということは問題になりません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,183頁(担当:庄司信)
【原文】

Damit muss man umgehen können, ohne dass dies auf der Ebene zweiter Ordnung wahrgenommen wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 162

邦訳は意味不明だし、構文の読み方が間違っている。diesはdamitのda、つまり「攪乱」や「予期せぬこと」だろう。文意としては、そうした攪乱が「二階の観察の水準では攪乱として認識されることなく対処されることができなくてはならない」ということ。


【訳文】

量子物理学の観察者は自分が考えついたものだけを見るわけではありませんが、かといって観察装置によって何らかの作用を生み出したもの以外のものを見るわけではないということも知られています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,185頁(担当:庄司信)
【原文】

Man weiß, dass der Beobachter zwar nicht nur sieht, was er sich ausdenkt, aber auch nur das sieht, was er mit seinen Apparaten an Effekten erzeugt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 164

邦訳は無駄にややこしい。「装置の作用によって生み出されたものだけを見る」でいいだろう。


【訳文】

わたしはたまたま数日前、アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの芸術論――それは『一八〇一年以降の文学と芸術に関する講義』の第一巻ですが――を読んでいて、物事がこれとはまったく違って見えるような引用を見つけました


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,185頁(担当:庄司信)
【原文】

Ich habe zufällig vor einigen Tagen bei August Wilhelm Schlegel in der Kunstlehre, das ist der Band 1 der Vorlesung über Schöne Literatur und Kunst von 1801, ein Zitat gefunden, wo die Dinge noch ganz anders aussehen.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 164

邦訳の書誌情報は出鱈目。これは『文学芸術講義』の1801年に出た第一巻である。それと邦訳はシュレーゲルが誰かを「引用」しているように書いているがもちろん間違いで、ここで触れているのはシュレーゲル自身の文章のことである。したがって「引用」ではなく「一節」とすべき。


【訳文】

マトゥラーナは、原則的に生命を土台として観察者を考えており、観察者とは言語を操る生物なのだから、生命の観察は生物学的に役立つものでなければならないと言います。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,186頁(担当:庄司信)
【原文】

Maturana stellt sich den Beobachter im Prinzip auf der Basis des Lebens vor und sagt, die Beobachtung des Lebens müsse biologisch funktionieren, da der Beobachter ein über Sprache verfügendes Lebewesen ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 164-165

"biologisch funktionieren" すなわち「生物学的に機能する」とは要するに「生きている」ということである。観察者は生物だから観察するには生きていなければならないということ。「生物学的に役立つ」では意味不明。



II-8~Vまで後回し。

VI 自己観察する作動としてのコミュニケーション


【訳文】

みなさん、講義時間はなお二時限あります。そこで、これまでの講義に関わるもの、つまり社会システムに関わる問題を新たな仕方で扱ってみたいと思います。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,360頁(担当:青山治城)
【原文】

Meine Damen und Herren, wir haben noch zwei Doppelstunden vor uns, und für diese Stunden schränke ich das Bezugsfeld für diese Vorlesungen erneut ein, und zwar diesmal auf soziale Systeme.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 288

邦訳は出鱈目。正しくは「この講義で扱う領域を改めて限定してみたいと思います。つまり、以降は社会的システムに話を限定します」みたいな。


【訳文】

これは理論を放棄するということではなく、導入として理解を深める効果があると思います。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,360頁(担当:青山治城)
【原文】

Das bedeutet nicht, dass die Theorie aufgegeben wird, aber es gibt eine Art Trichtereffekt.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 288

「漏斗効果」。これは話を限定するということの言い換えだが、邦訳は上で指摘したようにその点もわかっていないのでなんか雰囲気で訳しているだけ。


【訳文】

今、この講義の最終部分では、社会システムに限定したいと思いますが、それは、『社会システム』というタイトルの本に結実した講義への橋渡しをするということです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,360頁(担当:青山治城)
【原文】

und jetzt möchte ich den letzten Teil der Vorlesung einschränken auf soziale Systeme, das heißt, es gibt eine Art Überleitung zu einer Vorlesung, die dann den Titel Soziale Systeme führen müsste.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 288

邦訳は接続法無視。これは本の話ではない。この講義は「システム理論入門」だが、以下の部分は「社会的システム」と名付けるべき(まだやっていない)講義への橋渡しとなるよ、ということ。


【訳文】

このことは何にもまして、つぎのような中心的な点に当てはまります。すなわち、システムは完全に自分の作動によって生産され、観察によってもそのように規定されるにもかかわらず、そのことがほとんど強調されていないという点です


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,360-361頁(担当:青山治城)
【原文】

Das gilt vor allen Dingen für den zentralen Punkt, den man in der Literatur selten so hervorgehoben findet, dass das System völlig von der Operation her produziert und dann auch in der Beobachtung so definiert wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 288

「点」の内容は「システムは~規定される」の部分であって、この点が関連文献では強調されていないと言っているのである。


【訳文】

一般的に言ってみなさんはコミュニケーションを、一種の伝達行為として考えているのではないでしょうか。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,361頁(担当:青山治城)
【原文】

Denn im Allgerneinen werden Sie [...] Kornmunikation als einen Übertragungsvorgang denken.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 288

「行為」という重要概念を不用意に使わないように。「伝達過程」くらいで。


【訳文】

わたしの見るところ、そこには一般的先入観に対して二つの点で異議申し立てがあります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,361-362頁(担当:青山治城)
【原文】

Es gibt weitere Einwände, die sich, wie mir scheint, auf zwei Punkte konzentrieren.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 289

邦訳はそこ(=マトゥラーナの議論)の話のつもりで書いているが、正しくは「それとは別に」ということである。


【訳文】

なおも伝達というメタファーを使うとすれば、何も失われず、増殖するだけという、異常な伝達を考えなければなりません


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,362頁(担当:青山治城)
【原文】

Selbst wenn wir uns an die Metapher der Übertragung halten, haben wir es mit einem ungewöhnlichen Übertragungsvorgang zu tun, bei dem nichts verloren geht, sondern nur multipliziert wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 289

邦訳は否定的なニュアンスが強すぎる。正しくは、「伝達メタファーを使い続けてもいいけど、その場合は~という事情があるので、ふつうに伝達と言われているあれとは違うことを意識しておいてね」くらいの話。


【訳文】

グレゴリー・ベイトソンは多くの著作や論文、講演のなかで、コミュニケーションにおいて問題なのは冗長性の産出であり、余計な知識、尋ねようとする者の視点からして余計なものだという考え方を提起しています。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,362頁(担当:青山治城)
【原文】

Bei Gregory Bateson finden Sie in verschiedenen Schriften, Aufsätzen, Vorträgen die Vorstellung, dass es bei Kornmunikation um die Erzeugung von Redundanz geht, also von überflüssigem Wissen, überflüssig vom Gesichtspunkt desjenigen, der es erfragen möchte.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 289-290

邦訳の「余計」は誤導的だしそもそも日本語の文として完成していない。赤字部分はRedundanzという英語由来の言葉をドイツ語で説明しているだけであり überflüssig は過剰くらい。尋ねる者にとってその知識は不要という意味で「余計」なのではなく、必要だし知りたいけど一人知っている人がいればいいのであって何人もは必要ないという意味で「過剰」なのである。


【訳文】

その結果、コミュニケーションの内容は過去の引用となり、非現実化される部分が大きくなります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,362頁(担当:青山治城)
【原文】

der Effekt ist, dass die Vergessensquote oder die Deaktualisierung dieses Kommunikationsinhaltes entsprechend groß ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 290

邦訳は Vergessen を Vergangen と混同したうえ、「割合(クォータ)」を意味するQuoteを勝手に「引用」にしてしまっている。「忘却されるもの、潜在化するものの割合が大きくなる」くらい。


【訳文】

わたしたちは、コミュニケーションの作動とどのような関係にあるのでしょうか。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,362頁(担当:青山治城)
【原文】

Mit was für einer Operation haben wir es zu tun?


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 290

邦訳は "was für ein" が「どのような種類の」という意味であることを知らないため、困って雰囲気で訳している。直訳すれば「我々はどのような種類の作動と関わっているのか」ということ。


【訳文】

そこでの問題というのは、伝達モデルは観察者にとってではなく、参加者にとって当事者の状態がわかっていること、Aの頭の中にある特定の知が何を意味し、Bの頭の中にある知が何であるのかがわかっていることを前提としているのかどうかということです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,362頁(担当:青山治城)
【原文】

Hier geht es um die Frage, ob das Übertragungsmodell nicht für einen Beobachter und auch für einen Teilnehmer voraussetzt, dass man die Zustände der Beteiligten kennt, dass man also weiß, was Wissen bestimmter Art in Kopf A bedeutet und was Wissen in Kopf B bedeutet.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 290

このnichtは当然「観察者」と「参加者」の両方にかかるのであり、全体としては「~なんてことを前提しちゃってはいませんか」と問題を指摘しているのである。


【訳文】

あるいは、たとえばバスで大学に行くといった特定の情報がすべての人の頭の中にある同じ情報だということを、どのようにして知ろうとするでしょうか。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,363頁(担当:青山治城)
【原文】

Oder wie wollen Sie wissen, dass eine bestimmte Information, zum Beispiel mit welchem Bus man zur Universität fährt, in allen Köpfen dieselbe Information ist?


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 290

「大学行きのバスはどれかという情報」。


【訳文】

システム理論におけるシステムをそのつどの具体的な状況において経験的により具体的に知ろうとすればするほど、ある種の等しさ、少なくとも類似性があると考えることが困難になります。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,363頁(担当:青山治城)
【原文】

Je konkreter man sich systemtheoretisch Systeme empirisch in ihren jeweiligen Zuständen vorstellt, umso schwieriger wird es, zu denken, dass eine Art Gleichheit oder zumindest Ähnlichkeit vorhanden ist.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 290

邦訳は「具体的」が二回出てくるし「状況」と「状態」の区別がついていないし、もろもろ不正確(原文も副詞がsystemtheoretischとempirischとkonkreterと3つ出てきて変な文ではある)。「システム理論的に、システムごとの経験的状態をそれぞれ具体的に見てこうとすればするほど」くらいかな。


【訳文】

再び観察者に戻って別の言い方をするなら、わたしたちがこの講義をこの部屋から別の部屋に移すことが重要だと見なすとしても、この講義は同一のものだとある観察者は言うことができます


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,363頁(担当:青山治城)
【原文】

Oder, anders formuliert, wieder mit Rückgang auf den Beobachter: Ein Beobachter kann natürlich sagen, das sei dasselbe, so wie wir die Verlegung dieser Vorlesung aus einem Raum in einen anderen als sozusagen angekommen behandeln können.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 290-291

邦訳は構文と文意が把握できていない雰囲気訳。前文でシステムごとの状態は経験的にはそれぞれ異なると指摘したのを承けて、しかし観察者はそれを同一だと言うことができる。それは我々が、講義室の変更を周知のこととして扱うことができるのと同じだ、というのがここの文意。


【訳文】

わたしたちはコミュニケーションについて考えています。主体や個々人、労働組合など社会システム全体がコミュニケーションに関わるとき、それらが具体的にどうような状態にあるかを確認することにつねにコミュニケーションが向けられていなければならないとしたら、法外な困難に直面しますから、はじめからコミュニケーションを限定しておいてはなぜいけないのでしょうか。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,363頁(担当:青山治城)
【原文】

Wir erinnern uns an Kommunikation. Warum sollte man es dann nicht gleich von vornherein auf Kommunikation beschränken, zumal es außerordentlich schwierig wäre, wenn die Kommunikation darauf angewiesen wäre, immer feststellen zu müssen, mit welchem konkreten empirischen Zustand Subjekte, Individuen oder auch ganze soziale Systeme, Gewerkschaften zum Beispiel, an der Kommunikation beteiligt sind.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 291

邦訳は文意がまったくとれていない。ここはまず「我々はコミュニケーションについては覚えているものだ」という確認から入り、「それなら最初からコミュニケーションの話だけしていればいいではないか」と続き、その補足的理由付けとして、「つねに各システムの経験的状態を確認してからでないとコミュニケーションができないのでは大変だ」と言われているのである。 "auf A beschränken" は「Aに限定する」であって「Aを限定する」ではないし、 "auf A angewiesen sein" は「Aに依拠している」であって「Aに向けられている」ではない。


【訳文】

両者に固有の前提にとらわれていると、コミュニケーションは袋小路に陥ってしまうのでしょうか


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,363頁(担当:青山治城)
【原文】

Würde eine ständige Selbstbeschäftigung mit ihren eigenen Voraussetzungen die Kommunikation in eine Sackgasse laufen lassen?


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 291

邦訳は省略しすぎていて意味不明。あとここの所有代名詞(ihren)は前文のもの(「両者の」)ではなく「コミュニケーションの」である。つまり、「つねに自らの前提を確認しなければならないのだとしたら、コミュニケーションは袋小路にはまってしまうのではないでしょうか」ということ。


【訳文】

音響と雑音が同時に存在することによって、わたしが話す瞬間にわたしは自分が話すのを聞いているということです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,364頁(担当:青山治城)
【原文】

dadurch, dass die Akustik, das Geräusch, gleichzeitig vorhanden ist, höre ich mich in dem Moment sprechen, in dem ich spreche.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 291

邦訳は「音響」と「雑音」の2つのものの同時存在について述べているが、これはただの言い換えであって同じもののことを指している。「同時に」というのをちゃんと訳出するなら、それは「話す」と「聴く」の間での同時性として訳すべき。


【訳文】

この遅れは小さなものですから、心理的には自覚されないものです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,364頁(担当:青山治城)
【原文】

Die Verzögerung ist minimal und wird psychisch nicht registriert.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 291

前文では同時性が言われているのにいきなり「この遅れ」と言われてもね。ここは「遅延はあったとしてもごく小さなものだから」という文意。


【訳文】

いつも何かを聞いている人、いつもテレビの前に座っている人は、何かが語られているその瞬間に、それが語られていることを知るとともに、そのまとまりについても考慮しています


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,364頁(担当:青山治城)
【原文】

Wer immer etwas hört, wer immer vor dem Fernsehapparat sitzt, bekommt in dem Moment, in dem etwas gesagt wird, das mit, was gesagt wird, sodass uns weiteres Nachdenken über die Einheit eigentlich erspart wird.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 291

"wer immer ..." は「誰であれ~な人」(この初歩的な用法を知らないルーマン翻訳者の多いこと!)。最後の部分は特に出鱈目(文意と正反対)。「何かを聴いている人、テレビの前に座っている人は、何かが言われた瞬間にその言われたことを理解するため、そもそもそのまとまりについて考える必要がないのです」くらい。


【訳文】

行為理論から出発すると、送り主の側で重要なものは情報なのか、表現行為なのか、それとも届けることなのかに応じて、異なる行為を区別することができます。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,365頁(担当:青山治城)
【原文】

Wenn man von einer Akttheorie ausgeht, hat man die Möglichkeit, unterschiedliche Akte festzustellen, je nachdem, ob die Information oder das expressive Verhalten oder das Ankommen beim Adressaten im Vordergrund steht.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 292

Adressatenを「送り主」としている時点でどうしようもないが、そもそもそれはそこにかかるものではない。正しくは「情報と表現行動と宛先への到達のどれが前面に出てくるかに応じて」。


【訳文】

言語に関するわたしたちの考察を思い起こすならば、コミュニケーションは、ともかく規則に則って成立するはずで、理解できる個々の身ぶりに限定されるはずだとするならば、言語がその前提となっていることは明らかです。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,365頁(担当:青山治城)
【原文】

Wenn Sie sich an unsere Überlegungen zu Sprache erinnern, ist klar, dass die Kommunikation Sprache voraussetzt, jedenfalls wenn sie regelmäßig zustande kommen soll und nicht auf einzelne gut verstehbare Gesten beschränkt sein soll.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 293

邦訳後半は特に出鱈目(原文とは正反対)。正しくは「コミュニケーションが規則的に生じるもので、個々の容易に理解できる身振りに限定されるべきではないならば」。


【訳文】

コミュニケーションが作動することによって成立する統一性の異なるアスペクトだということです。ただし、それらは基本要素、原子、あるいは現状などのように寄せ集められるものではありません。


土方透(監訳),『システム理論入門』,新泉社,365頁(担当:青山治城)
【原文】

sondern immer Aspekte einer operativ zustande gebrachten Einheit sind, jedoch nicht als Bausteine, Atome oder sonstwie vorhandenen Zustände, die man dann nur noch zusammenbaut.


Niklas Luhmann, Einführung in die Systemtheorie, Carl Auer, S. 293

その「統一性」がコミュニケーションなのだから、変な補足を入れるとわけがわからなくなる。「作動的に生じる統一性」とか忠実に訳しておくべき。あと「現状」ってなに? 「ブロックとか原子とか、なんであれ元々そこにあって組合せることができるような状態ではない」ということ。